かく言う私ですが、実は若い頃は、そんな白いばらの魅力にまったく気づいていませんでした。

 私が白いばらで働き始めたのは、1960年、18歳の時のことです。まだ若く、山っ気のあった私には、白いばらはただの安っぽい店にしか思えませんでした。働き始めて一年で限界を迎えました。「自分にはもっと高級な店が合っている!」と白いばらを飛び出し、銀座七丁目のとある高級クラブに移りました。そのクラブの店内は贅を尽くしてあり、ホステスも美しく、こう言っては何ですが、白いばらとは土俵の違う世界でした。私はそんな世界を“一流”だと思って憧れていたのです。

 でも、それがただの虚飾であることに気づくのに時間はかかりませんでした。高級クラブのホステスたちは、大金を注ぎ込んで自分を磨き上げます。見た目だけでなく所作も美しく、新聞にも毎日目を通していて知性もみなぎっています。持ち物や衣装もきちっとしていて、寸分の隙もありません。

 たしかに、彼女らの日々の節制ぶりや努力には敬服せざるを得ません。でも、完璧すぎて、人間味があまり伝わってこない印象でした。

 いくら美しくても、どんなに甘い言葉をささやいても、人間的な温かさのない絵空事の世界ですから、お客さまの心もじきに離れていきます。それを彼女たちのほうもわかっていて、お客さまが通われている間に、見栄と演技の張り合いで、奪えるだけお金を奪い合う──当時の私には高級クラブはそう見えました。

 私は働いてすぐに、「ここにいたら自分が自分でなくなってしまう」と感じ、白いばらに戻ることを考え始めましたが、白いばらを出てきてしまった手前、そう簡単には戻れません。一年間だけ我慢してその店にいました。

 一年後に先代の社長に頭を下げに行くと、一言も咎とがめずに、私を黒服へと戻してくれました。お店に一歩入った時、私はほとばしる汗や人間のにおいを感じました。「ああ、戻ってこれてよかった。ずっとここで働こう」、そう感じたことを覚えています。

 それから50年。お客さまはもちろん、年下の黒服に対しても、尊敬の気持ちを持って仕事をしてきました。

 遠回りすることになりましたが、その時に高級クラブの世界を見てきたからこそ、あらためて白いばらの魅力に気づくことができたと、今は思っています。