<コラム>ビリーはサニーサイドを見ていたか?『ザ・ユナイテッド・ステイツ vs.ビリー・ホリデイ』と『カムカム』を結ぶ「日なたの道を」
<コラム>ビリーはサニーサイドを見ていたか?『ザ・ユナイテッド・ステイツ vs.ビリー・ホリデイ』と『カムカム』を結ぶ「日なたの道を」

 伝説のジャズシンガー、ビリー・ホリデイとFBIの対決を描いた映画『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』が現在公開中だ。

 没後60年以上経っても、その強烈なカリスマ性が現代のアーティスト達に影響を与え続けているビリー・ホリデイ。そんな彼女は、長きに渡り執拗にFBIに追い続けられた。ターゲットとなった理由は、彼女の大ヒット曲で人種差別を告発する禁断の楽曲「奇妙な果実」を歌い続けたから。「この歌だけは捨てない」と真っ向からはねのけてステージに立ち続けたビリーの短くも壮絶な人生をFBIとの対決に焦点を当てて描いた本作について、音楽映画ライターの小池直也が朝ドラ『カムカムエヴリバディ』とつなげて紹介する。

「それは『合衆国対ビリー・ホリデイ』とでもいったらぴったりするような感じのできごとであった」

 記憶違いが多いともいわれる『奇妙な果実―ビリー・ホリデイ自伝』(訳:油井正一、大橋巨泉)の17章にそう記述されている。『ザ・ユナイテッド・ステイツ vs.ビリー・ホリデイ』のタイトルはこの部分を引用したものだ。NHKで現在放映中の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ(以下、カムカム)』安子編の舞台は戦前と戦後の日本だが、本映画は同時代に米国で起きていた出来事を描いている。

 『カムカム』で鍵となる楽曲は、ルイ・アームストロングが歌う「On the Sunny Day of the Street(明るい表通りで/日なたの道を)」。もともと1930年に上演されたブロードウェイ『ルー・レスリーのインターナショナル・レビュー(Lew Leslie’s International Revue)』で使われたミュージカル曲だ。作曲は白人のジミー・マクヒュー、作詞は女性として初めて成功したとされるユダヤ系のドロシー・フィールズ、原曲を歌ったのはユダヤ系のハリー・リッチマン。人種的な多様性溢れる製作陣が生み出し、ルイが歌った楽曲が日本人に影響するという点で『カムカム』は興味深い。

 当時のジャズシンガーたちが歌い、現在スタンダード曲として親しまれている曲の多くが映画の主題歌やブロードウェイのミュージカル曲だ。「白人が歌った曲を黒人がカヴァーする」という構造は、当時のジャズを考える上で見逃せないポイントである。そしてジャズの主要な要素のひとつに上げられるのが即興だが、器楽的なスキャットによるアドリブ歌唱のルーツでもあるルイは、歌を詞から引きはがして自由にした側面を持つ。対してビリーは「それを歌いたくなったとして、何を考えて歌い出すのだろう。考える必要はない」や「アレンジしたり、練習したりすることは不要です。感じることができる曲だけが必要」と語っており、歌詞や曲そのものを大切にした。

 徹底的にアフリカン・アメリカンをフィーチャーする『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』でアンドラ・デイが歌う楽曲は、黒人ソングライターが作曲したブルースやブルージーなものが多い。しかし他のジャズ歌手の例に漏れず、ビリーがレパートリーとした楽曲のほとんどは当時のヒットソングである。曲に自分を投影することで曲と歌詞をハックし、己のフィーリングとフレージングで流行り歌をブルースのように塗り替えたのだ。言葉に捕らわれなかったルイに対し、ビリーは言葉の制約のなかにありながら自由だったといえる。白人歌手による原曲やメロディにとらわれることなく、自分のフィーリングを歌に吹き込む両者のスタイルは対照的である。

 実はビリー・ホリデイも「On the Sunny Day of the Street」を歌っており、自伝に同題の章が存在する。そこで語られるのが映画の中心となる「奇妙な果実(Strange Fruit)」の誕生だ。リンチされ殺された黒人の死体を歌う内容は後の公民権運動の先駆けとなった。プロテスト・ソングの元祖でもある本楽曲を「頑固な偏見を持つ人と真っすぐな人を分ける力があった」とビリーは回想する。「苦い果実」という詩に音楽を付けた本楽曲とビリーは、ニューヨークのカフェ・ソサエティで邂逅。人種や思想による利用制限がない、その場所は当時としてはリベラルで画期的な店だったが、1940年代末期に赤狩りによって閉店へ追い込まれている。

 この問題曲を作詞作曲したのはユダヤ系のルイス・アラン、本名エイベル・ミーアポル。この名は劇中の日本語字幕には登場しないが、ビリーのマネージャーのジョー・グレイザーによって「ミーアポルはクソ共産主義者だぞ(日本語字幕:作者はアカだぞ)」と言及される場面がある。彼もまた熱心な共産主義者だったのだ。合衆国が歌唱を止めたかったのは人種的偏見だけでなく、共産主義の陰謀をも疑っていたからと考えるのは過言ではないだろう。「共産主義者が書いた政治的音楽」となれば、赤化を恐れた米国が見過ごすわけがない。

 そう考えると、劇中で取締局の黒人捜査官ジミー・フレッチャー(トレヴァンテ・ローズ)自身が麻薬に手を染めるシーンは示唆的だ。ハイになった彼はマルコムXが言うところの薬効「超時性」が過去に作用したのか、子どもに戻ったビリーに誘われる。だが次の幻覚になると、なぜか劇中唯一の赤シャツ姿で登場するのだ。あれは彼が完全に国を裏切ったことを示しているとしか思えない。

 さらに“奇妙”なのは「プレズ(プレジデントの略)」と呼ばれる、ビリーの音楽的なパートナーのテナーサックス奏者レスター・ヤング(タイラー・ジェームズ・ウィリアムズ)だ。その愛称は、当時の大統領フランクリン・ルーズヴェルト元大統領から採られている。2021年にジョー・バイデン現大統領が「米国史で最も恥ずべき時のひとつ」と謝罪した、大戦時における日系人強制収容の根拠となった人物。それと同時に『カムカム』で描かれた岡山大空襲を遂行したアメリカ軍の最高責任者でもある。

 今日的な感覚で考えると、レスターはジャズ・サキソフォンのスタイルを築いた偉大な黒人プレイヤーでありながら、人種主義的なニックネームを持つ異様な存在だ。名付け親は当のビリー本人で、理由は「当時最高の男は彼だったから」。世間の評価など80年も経てば変わってしまうものだ。しかし一方でレスターが付けた「レディ・デイ」という名は、死後60年を経た今もなお存在感を増している。

 「麻薬をやってジャズがうまくなるはずがない。そんなことをいう先輩がいたら、麻薬についてビリー・ホリデイ以上に何を知っているか聞きだしてみるといい」。彼女の自伝の終盤は、そんな麻薬に対する警告だらけだ。しかし、そんななかに「不幸以外の何物をも期待しないでいると、わずかながら、幸福の日がめぐってくるかもしれない」という希望の一節がある。まさに『カムカム』における「暗闇でしか見えぬものがある、暗闇でしか聴こえぬ歌がある」を思い出させる。人種差別や薬物依存など苦境の人生にありながら、それでも彼女は憂鬱よりもサニーサイドを見ていたはずだ。

Text by小池直也

◎公開情報
『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』
全国公開中
監督:リー・ダニエルズ
出演:アンドラ・デイ、トレヴァンテ・ローズ、ギャレット・ヘドランドほか
配給:ギャガ
(C) 2021 BILLIE HOLIDAY FILMS, LLC.