村上春樹が贈る【MURAKAMI JAM】に小野リサ、村治佳織、山下洋輔ら出演
村上春樹が贈る【MURAKAMI JAM】に小野リサ、村治佳織、山下洋輔ら出演

 村上春樹がディスクジョッキーをつとめる特別番組『村上RADIO』の番組の世界観を具現化したライブイベント【TOKYO FM開局50周年記念 村上春樹 produce「MURAKAMI JAM ~いけないボサノヴァ Blame it on the Bossa Nova~ supported by Salesforce」】が開催された。

 オープニングのステージには村上JAMバンドが登場。前回に引き続き、イベントの音楽監督兼ピアニストの大西順子を始めとしたメンバーは笑顔を交わしながら「Madison Time」を披露し、会場からは大きな拍手が起こった。

 登壇した村上は「こんにちは。村上春樹です。もう、そんなになるんですね。1回目は手探り状態で、一生懸命やっていたんですけど、2回目なんでテーマを設定した方がいいと思って、ボサノヴァで」「個人的に昔からボサノヴァが大好きなんですよね、ボサノヴァ嫌いな人なんていないんですよね」「1964年にイパネマの娘が流行ったときはまだ高校生でした。これがすごいとなってから、当時はビートルズやビーチボーイズ、バート・バカラックがいて、ドアーズがいて、ジミ・ヘンドリックスなど音楽的に素晴らしい時代だった、毎日がね、スリルの連続みたいな感じでした。60年代はクリエイティブが、わっと噴き出す時代で、そんな時に10代を送ることができたのは素晴らしいことでした」と語った。

 続いて小野リサが登場。「ボサノヴァが誕生した瞬間は、心地よい音楽が生まれてワクワクしていたはず」と小野が語ると、村上も「イパネマの娘やコルコバートを嫌というほど聞いたけど飽きない。リズムとハーモニーが特殊で魅力的なんだと思う。次にこのコードが来るとわかっていてもグッときちゃう」と返した。

 小野はアントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した「SAMBA DE UMA NOTA SO」「CHEGA DE SAUDAGE」「CORCOVAD」「AGUA DE BEBER」を披露。村上は「素晴らしい曲をありがとうございます。ポルトガル語ってほんとにボサノヴァにあってますよね。ほわっとした雰囲気とリズムがすごいあっている気がします」と絶賛した。

 村上は以前『村上RADIO』の中で「僕ら、ブラジル人のつくる音楽はどうして美しいのだろう? その理由はひとつ、幸福よりは哀しみの方が美しいものだからだ」とアントニオ・カルロス・ジョビンの言葉を引用したことがあるが、その理由として、「ブラジルの当時の社会情勢が幸福なものではなかったのですよ。だから、今はカフェのおしゃれな音楽となっているけど、本当は悲しみも含んでいる音楽と僕は感じている」と述べた。

 イベント当日はバレンタインデーだったことにちなみ、村上はバレンタインデーの思い出として「高校時代には何度かチョコレートをもらったことがあります。結構昔にはなるんですけど、そのころからバレンタインデーはあったんですよね。当時は義理チョコやホワイトデーはなかったのですが、それらが出てきてから日本の横書きみたいになって興味なくなったんですかね」とコメント。今年については、「いくつかいただきました、とても幸福な気持ちです」と明かした。

 村上JAMボサノヴァバンドによる「MY FUNNY VALENTINE」で第1部のエンディングを迎え、第2部が開幕。村上は現在の生活について「普段は外国に行っているんだけど、今年は外国に行ってなくて、日本でずっと仕事をしていた」とコロナ禍の生活を振り返り、「インスピレーションが生まれないことや、もやもやすることは特にないです。ふつうに生きていますね。この間、近所をジョギングしていたらイノシシにあって、怖かったですね。日本もワイルドですね」と笑いを誘った。

 トークの後、ギタリストの村治佳織が登場。第1回の時に打ち上げに参加した村治を村上は「ギターをその場で2~3曲弾いていただいて素晴らしかったです。坂本さんのお父様が作曲した戦場のメリークリスマスも演奏してくださいました」と述懐した。坂本も「その場では聞いていないんですけど、村上radioのSPで聞いて、いろいろ想い泣いてしまいました」とコメント。

 村上が村治に日頃の練習時間を尋ねると「子供のころは毎日3~4時間弾いていましたが、最近はメリハリをつけようと思って、弾かない日もあります」と回答。村上は「僕は練習が苦手なんですよね。音楽はやろうとしても練習が苦手で続かない。小説家のいいところは練習しなくていいところですね。文章の練習なんてしたことないです。好きな時に書いているからね」と告白した。そして、「伴奏つきの朗読なんてJET STREAMみたいですね」と話し、村治の演奏をバックに『1963年と1982年のイパネマ娘』を朗読した。

 最後のゲストに山下洋輔が登場。ボサノヴァが日本に入ってきた1960年代に村上は高校生だったが、山下はすでにジャズピアニストとして活動しており、当時の音楽シーンについて花を咲かせた。坂本美雨は「始まる前からずっと緊張していた」と明かした。

 続いて、村上JAMボサノヴァバンドがセッション。改めて生でボサノヴァを聴いた村上からは、「やさしさというかテンダーネスの感じがすごく伝わってくるんですね。このリズムってなんか癒されるんですよね」とボサノヴァ愛について語った。

 村上がMURAKAMI JAMに寄せた文章で、「何が世界を救うだろう、愛が消えても親切は残るだろう」と書いたことについて、カート・ヴォガネットの小説の中の言葉で僕は好きなんですけど、倦怠期を迎えた夫婦の方からは、すごく気持ちがよくわかると、とてもたくさんのメールをいただいて、親切心に救われるといいなって思いますね」とコメント。

 さらにコロナの影響で様々な問題が表面に出てきている点についても、「人を癒して、親切心を掻き立ててくれるものが、いい音楽なんじゃないかと思いますね」と独自の目線で語った。『村上RADIO』の番組内でも村上の選曲でも、そうした想いを届けてくれていますねと振られると、「身勝手な選曲とほどほどの音質でお届けしております」と冗談交じりに答えた。

 第2部は「イパネマの娘」のアンコールで幕を閉じた。

 なお同イベントの配信は2月21日までアーカイブ視聴が可能。