四谷見附橋上に設置された四谷見附停留所を発車して新宿駅前に向かう11系統の都電。拡幅前の新宿通りが画面奥に続いている。 (撮影/諸河久:1967年9月17日)
市営以前の東京鉄道会社が1907年に発行した「東京市内電車案内図」の四谷見附界隈。旧街鉄線の新宿線と旧外濠線の牛込線との路線配置が良くわかる。(所蔵/諸河久)
営団地下鉄(現東京メトロ)丸ノ内線四ツ谷駅で離合する400型と300型。画面右側に国鉄(現JR)中央線と1913年に架橋された四谷見附橋が見える。(撮影/諸河久:1963年7月21日)
牛込線の四谷見附停留所を後にして交差点を右折する12系統新宿駅前行きの都電。四谷見附の交差点は3・10・11・12系統の都電で賑わった。四谷見附~四谷二丁目(撮影/諸河久:1964年5月17日)
外濠通りの高力坂を上る3系統品川駅前行きの都電。本塩町三差路交差点の左端には「いすゞベレット」と「トヨタパブリカバン」、画面右端には1962年式「日産セドリック」のタクシーが写る。市ヶ谷見附~本塩町(撮影/諸河久:1966年3月17日)
撮影から37年後の「東京国際女子マラソン」で高橋尚子選手が失速した高力坂を下る12系統両国駅前行きの都電。8系統豊島園行きの都バスも続行していた。本塩町~市ヶ谷見附 (撮影/諸河久:1966年3月17日)