父が亡くなった翌日、実家の庭に普段見かけない青い鳥が舞い降りたのだが、その鳥は網戸にとまり、しきりに父の書斎の窓をつつき、中をうかがっている。舞い上がったと思ったら、今度は父が趣味で世話をしていた蘭小屋の屋根からずっとこちらを見ている。私たち家族は「あれはパパなんじゃないか」と真顔で顔を見合わせた。かつて白洲正子先生が、夫君の白洲次郎氏のことを「死んだ翌日、庭に大きなオスの孔雀が舞い降りたのよ。すごく威張って羽根を見せびらかして歩いてた。あれは次郎さんだったのかもね」と話していらっしゃったのを思い出していた。白洲次郎氏なら孔雀がいかにもふさわしいが、うちの父にも小さな青い鳥が似合っている。奇しくも遺影の父も青いシャツだ。

 白川が死んだときも、不思議なことがいくつか続いた。亡くなってから数日後、うちに飼っている3匹が、普段夜啼きをしないのに、深夜12時過ぎに一斉に啼きはじめ、螺旋階段に座り、天井を凝視している。そこにはもちろん何もないのに、一所懸命首を上に向け、しばらく切なげに啼き続けた。別の日には同じような時間に「ぺこまるー」と私のあだ名を呼ぶ声が、空耳と呼ぶにはやけにはっきり聞こえ、階下のテレビが突然ついたり、台所の蛇口から突然水がドボドボと流れ落ちる音がしてびっくりしたこともあった。白川の倒れたソファの辺に彼が好んだタバコの煙のようなものが何度か立ち込め、思わず咳き込んだり……と、不思議な現象が続いた。そのたびに「トウチャン?トウチャンだよね?トーチャーン!!!」と大声で呼びかけたが、もちろん返事はなかった。夢に出て来るのはずいぶん遅かったが、トウチャンはまるで「俺はまだここにいてお前を見守ってるぞ」といわんばかりにその存在を誇示していたのだ。

 昨年、「魂でもいいから、そばにいて――3.11後の霊体験を聞く――」という本が刊行された。震災で家族を亡くしたかたの霊体験が綴られており、やはりこの世の中には科学では解明できないことがある、と、涙を禁じ得なかった。死者も、遺したものたちを案じているのだ。人以外にも猫の霊の群が行進する姿を見た話などもある。何度も胸がつまった。著者の奥野修司さんはすぐれたノンフィクション作家で、その冷静な筆致と、被災者の真摯な聞き取り証言の数々には、オカルト、などという一言ではけして片付けられない神々しいものを感じる。改めて、死者想うお盆にこそ読んでおきたい感動作だ。今年のお盆に家に戻る父やトウチャンの魂が合図をくれるのを見逃さないでいたい。

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