国分:この1週間はもう本当に複雑な気持ちがたくさん出た1週間でした。毎日のように、山口、そして自分たちの映像が出たりし、いろいろな方からアドバイスをもらったり、逃げ出したくなるようなときもありました。でも、今やっている自分の仕事は、ここを逃げていけない仕事だと思っています。これからも自分のやっている番組でこの報道が出ると思いますが、それをひっくるめてこれが今のTOKIOと思ってます。
すごい複雑ではありますけれども、この1週間本当にいろんなことを考えさせられた1週間です。ただ、忘れてはいけないのがそこに被害者の方がいる、そのご家族が普段の生活に戻れる。それをこれからも考えていきたいと思います。
――音楽活動については現時点でどうなるのでしょうか?
長瀬:僕らは23年間バンドでやってきましたから。やはり、1つの音がなくなってしまうということは、そういうことなんだと思います。TOKIOの楽曲は彼が演奏する音がないと全く形にはならないので。今、そういう状況で、それからのことは、これから4人でまたゆっくりと考えながら、話し合いながら、やっていこうと思っています。
国分:去年から25周年に向けて5人で話し合ってきました。ここ最近僕らはツアーとかもなく、ファンの皆さんも楽しみにしていたと思います。その25年に向けてアルバム制作、この時期にやりましょう、いろんなことを考えてきましたが、今は、全て白紙にして、とりあえずは音楽活動は考えるのをやめて、向き合えることに今は向き合っていきたいと思っています。
城島:もともとTOKIOっていうのが、1988年か9年ぐらいのときに、山口達也と私、城島が出会いまして、それぞれギターとベースをやってたっていう部分もあって、バンドをやろうじゃないかという部分もあったので、そこからメンバー全員集まってきてバンドをみんなで、下手くそに原宿の小さいスタジオを自分たちでとって、ああでもないこうでもないって言って、やっていた時代がありました。そんなこんなで、そのころはまだデビューもしていませんし、TOKIOっていう名前はいただいてたんですが、うちの社長からは。まだ仕事もなんにもない時代からなんだかんだ、やっていたので。音楽がベースにあるのは間違いないと思うんですが、気がつけばバラエティーとか、いろんな役者の仕事とか、いろんなお仕事いただけるまでになりました。ありがたいです。ただ、今回こういうことになりまして、今白紙だと。音楽活動、正直、断腸の思いです。