■会場に集まった記者らとの一問一答は以下の通り
――山口さんも交えて5人で会ったとき、辞表を出されたことも含めてですけど、もう少し詳細をお教えいただけませんか?
城島:はい、30日の月曜日、夜なんですが、19時ちょっとだったかと思います。やっとメンバーそれぞれのスケジュールの都合があったので、やっと調整がとれまして、5人が集まれる形になりまして、その時間が夜19時過ぎたという時間帯でした。それで5人だけで話そうと。
まずは何があったのか、事件発覚以降それから5人集まってなかったものでしたので、山口を除く4人でも会えてなかったような状態だったんです。それでとりあえず集まることになりまして、某所で誰も入ってこないような5人だけの時間を取らせていただきました。2時間弱ぐらいですかね。
事の経緯といいますが、謝罪と、そこらへんは私たちも4人聞いてないことが多かったので、謝罪会見はテレビを通じて皆様と同じように聞いていました。事の経緯は概ね謝罪会見と同じようなことだったんですけれども、それでメンバー同士の口調で話してきました。その中でどうしようかと、腹を割って話そうよとなった時に、本人は記者会見の時も泣いてましたけれども、涙を流しているというよりか、涙が涸れ果て憔悴しきった様子で来ました。
もちろん自分がやってしまったことなのですから、いろいろ自分の中でも思っていることはあるのでしょうが、それで自分の持ってきた鞄の中から、土下座をして謝罪もしてきたんですけども、山口自身が、その中で謝罪の言葉もありましたが、鞄から一通の封筒を出してきまして、何だというと、「TOKIO辞めます」と。そこに「退職願」と書いてありました。
そこで我々もどう責任をとるのかとか、解散なのか、解雇しろとか、活動停止という部分において、いろいろな意見がございましたけれども、男として筋通すのが筋じゃないのかとかという思いもありましたが、そこで謝罪の中で一通の封筒が出てきたので、正直そこで言葉が出なかったのは確かです。
なんて返していこうかと、今後どうしていこうかという話し合いの中でどういう結果、答えが出るのかわからなかったです。ただ、そういう辞表が出たということにおいて、答えがちょっと出なくて、いま出来ることはなんだろうと、まず謝罪じゃないかと、被害者の方とご家族の方にまず謝罪させていただけるならば、会見開いてお時間とっていただいて、そこからこの先のことは考えていくしかないと、それしかないだろうということになったわけです。