初めて対面したhideさんと真由子さんの様子。メッセージを添えて、店内に飾ってある(撮影/福井しほ)
初めて対面したhideさんと真由子さんの様子。メッセージを添えて、店内に飾ってある(撮影/福井しほ)
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 1998年にX JAPANのギタリストhideが突然、この世を去ってから5月2日で20年となった。鮮やかな赤髪とイエローハートのギターで世界中を魅了した。hideの軌跡をたどるとき、一人の少女が浮かび上がる。難病であるGM1ガングリオシドーシスと闘っていた貴志真由子さんだ。世界で23例目の難病で、医師からは20歳まで生きるのは難しいと言われていた。闘病最中の95年、真由子さんは難病の子どもたちの夢を叶える団体「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン」の支援で「憧れの人であるhideと会う」という夢を叶えた。

 その後も2人の交流は続き、hideが亡くなった後もhideの仲間や関係者と密な時間を過ごしてきた。hideが亡くなった11年後、真由子さんも旅立った。そんな2人の息遣いを今も感じる場所が和歌山県にある。真由子さんの両親が経営する「レモネードカフェ」だ。1階はカフェスペース、2階はライブハウスという作りになっており、店内にはいたるところにhide関連のポスターやグッズが並べられている。母親である和子さんに話を聞いた。

* * *
――真由子さんはいつからhideさんを好きに?

 小学5年生で入院して、入院中に上の娘が持っているCDを聴いて好きになりました。入院中もずっとCDを聴いていて、土日に外泊したときもずっと部屋で映像を見ていました。飛び抜けてX JAPANとhideさんが好きで、それ以外はhideさんが良いと言ったアーティストのCDを聴いていましたね。

――hideさんとお会いするきっかけは?

「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン」という「3歳から18歳までの難病の子どもたちの夢を叶える」というボランティア団体があるんです。今の西洋医学では治療が難しいと言われていたので、「それなら何か一つ夢を叶えてあげたい」と思って電話をかけました。そこから話が進んで、お会いできるということに。1995年9月くらいに電話をして、12月31日にたまたまX JAPANの東京ドームのライブチケットを申し込んでいたので、それを伝えると「じゃあそのときに会いましょう」と。

――hideさんとどんなお話をされたんですか。

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「真由子は友達」の言葉