――hideさんが亡くなられたとき、真由子さんはいつ知ったんですか。
亡くなられた日に病院の診察があったんです。携帯電話の電源も切っていて、検査後に電源をつけた直後にかかってきた友人からの電話で亡くなったことを聞きました。すぐにマネージャーさんに電話をしたら、「そうなんです。他から聞く前に直接耳に入れたかったけれど、つながらなくて」と言われて。本当はその夜、病院が終わったらhideさんのご両親がやっている横須賀のお店に行く予定で、「都合がつけばhideも来るかも」と聞いていたんです。(訃報を聞いて)真由子は喋らないし、ご飯も食べないしですごく落ち込んでいました。次の日の朝、hideさんのお母さんから「hideがこんなことになってしまって、まゆちゃんの身体に影響はないですか」って電話がありました。
――息子さんが亡くなったばかりなのに、真由子さんのこと気遣ってくださったんですね。
親子揃ってすごいんです。それで、(遺体が安置されていた)築地本願寺に通っていたら、色んな人が話しかけてくださった。あるミュージシャンの方が「よくhideと飲んでいたんだけど、酔っ払う前に『今、真由子はこういう状態だからちょっと安心なんだ』と話してから飲むんだよ」と話してくださった。この話は他の方も話してくださって、hideさんのロスの仕事仲間も「真由子がもう少し元気になったらロスを案内したい」と言っていたと教えてくれたんです。
――そんなお話を聞くと切ないですね。
でもね、みんなそうなんです。本願寺で最後のお別れをするとき、YOSHIKIさんは棺のそばで真由子の手を握って「まゆちゃん、今まではhideが支えたけれど、これからは僕たちみんなが支えるからね」って言ってくださった。
――そのときはYOSHIKIさんも辛かったのに、真由子さんのことも大切にしてくださって。
初めて会ったときも打ち上げ会場から控室に戻るとき、YOSHIKIさんがいたんです。hideさんが「どうしたの?」って聞いたら、「2人のことを待ってた」って3人で手をつないで歩いてきたんです。hideさんが亡くなった後も、自宅まで来てくださったり。
――hideさんの思いが連鎖してるんですね。