さらに、元メジャーリーガーの松坂は、沖縄駐留の米兵たちの間でも抜群の知名度だった。若き米兵たちが、大挙して北谷公園野球場にやって来ると「ダイスケ」と声援を送り、グッズも大量に購入していったのだという。

 その人気ぶりには、北野も球団も驚かされた。

 だからといって、人気商品のレプリカを発注すると決断を即座に下すというわけにはいかなかった。中日の場合、北野が球団グッズの企画や発注を統括しているが、ナゴヤドームと中日球団とは別会社のため、ドーム内でのグッズ販売はドーム側がイニシアチブを取る。

 2月初旬の時点でレプリカユニホームの発注をかけ、業者側に急いでもらえば、開幕に間に合わせることはできる。しかしもし、松坂が開幕にいない、故障で2軍調整になるなどして、開幕の時点でキャンプ時のような盛り上がりがしぼんでいたらどうなるのか。ドーム側から「レプリカはそんなにいらない」と言われたら、発注したものは一体、どうするのか。

 そうした“最悪のシナリオ”を想定する一方で、当然ながら、その逆の状況も考えられた。順調に調整が進み、本拠地開幕での巨人戦に松坂が投げるようなことがあれば、世間の注目度はさらに跳ね上がる。そうすれば「99」のレプリカユニホームをファンが欲しがることも恐らく間違いないところだ。

 だからこそ、北野も悩んだ。

 北谷キャンプ中、業務の合間を縫って北野はブルペンに足を運び、松坂のピッチングを冷静に見続けた。北野は身長187センチの長身で、1985年に三重・海星高からドラフト4位で横浜大洋(現DeNA)に入団。1990年に中日へ移籍すると、左のサイドハンドという特徴を生かし、貴重なリリーバーとして活躍。1994年には44試合、1996年にも54試合登板を果たすなど、プロ9年間で178試合に登板している。

 その“プロの目”からすれば、故障上がりで肩にも肘にもメスを入れ、日本での3年間、まともに投げていない37歳のベテランが開幕ローテーションに入れるとはちょっと考えづらい。

 それどころか、北野は「ひょっとしたら、キャンプ中にアクシデントがあって、投げられなくなって、退団するかもしれないということまで考えました」という。

 それは、球団の収益を左右する部署で働く一員としての“危機管理”でもある。

 テスト入団が決定した直後、松坂に対するネガティブな情報は多かった。メジャーから帰国後、所属したソフトバンクでの3年間で1軍登板は1度だけ。昨季は2軍ですら投げていない。メジャー時代に右肘、2015年にも右肩にメスを入れている。

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松坂の魅力を再認識