1998年、横浜高の松坂が準々決勝でPL学園を相手に延長17回の死闘を演じた伝説の夏。その翌日に行われた準決勝では、横浜が6点差をひっくり返して明徳義塾を下し、さらに決勝の京都成章戦では松坂がノーヒットノーランを達成。当時9歳だった鈴木少年は、その準決勝と決勝の2試合を「甲子園へ見に行きました」という。2安打を放ったルーキーの藤岡裕も「まさか対戦できるとは思わなかったです。緊張しました」。ヒットを打った方が恐縮する。松坂大輔というスーパースターは、若き野球人たちにそれだけの影響と畏怖を与える存在でもある。

 ナゴヤ球場の室内練習場で投げ、テスト合格したのが1月23日。プロ入りした西武時代から公私ともに慕い続けている良き兄貴分の友利結・編成部国際渉外担当から「調子が良いから今日は多く投げようというのだけは絶対にやめろよ」と厳命され、森監督らとともに綿密に立てたスケジュールに沿って、1つ1つ、関門をクリアしてきた。

 フリー打撃、練習試合、そしてオープン戦3試合で2回31球、3回76球、そして5回93球と、イニングも球数もプラン通りに積み上げていった。

「こういう調整の仕方は初めてでした。これでいいんだと自分に言い聞かせてやるしかなかったし、その通りにやってこれました」

 森監督も「シーズンへ向けて、一歩上の段階に来た。今の時点で、5回100球というのもクリアしたし、あとは回復力がどうかになる」と力を込める。松坂の体調に何らかの異常やアクシデントがなければ、本拠地の開幕カードとなる巨人戦、その2戦目となる来月4日の先発登板に「GOサイン」を出す意向を明かした。

「しっかりと投げられる準備、体調を整えて、開幕に臨みたいと思います。『状態を上げていきたい』というのは、僕にとっては便利な言葉。キリがないですよね。全部をひっくるめて、すべての球種を良い状態に持っていきたいということです」

 メジャーから帰国後、2015年から昨季まで所属したソフトバンクでは、3年間で1軍登板1度。右肩の不調から昨季は2軍登板すらできなかった37歳が、新天地・名古屋で迎えるプロ20年目の開幕。自らの復活を告げるための最高の舞台を、松坂は己の力でつかみ取ったようだ。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス中日、ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。

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