日本ハム・斎藤佑樹 (c)朝日新聞社
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 ドラフト会議が終わり、注目の高校通算111本塁打の清宮幸太郎(早稲田実)は7球団競合の末に日本ハム、一大会新記録の甲子園6発の中村奨成(広陵)は広島が交渉権を獲得した。夢と希望に満ちたプロ野球人生が間もなく始まろうとしているが、その一方で過去には甲子園のスター選手として鳴り物入りでプロ入りを果たしながらも満足に活躍できなかった選手も数多くいる。光があれば、陰もある。そこで今回は平成以降の甲子園の舞台を対象に、プロ野球では苦しんだ高校球児たち・投手編を紹介したい。

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 そのフィーバーぶりで記憶に新しいのは、やはり斎藤佑樹(早稲田実)だろう。2006年夏の甲子園で決勝再試合を含めた7試合で4連投、史上最多の69イニングを投げ抜いて頂点に立ち、その爽やかな風貌で「ハンカチフィーバー」を巻き起こした。その後、早稲田大を経て日本ハムにドラフト1位で入団したが、今季までのプロ7年間で計15勝にとどまっている。だが、この斎藤以上に栄光の甲子園後に苦しんだ投手は多くいる。

 “苦悩のドラ1”だったのが、辻内崇伸(大阪桐蔭)だ。2005年夏の甲子園に出場すると、左腕投手として当時最速の156キロを計測し、大会最多タイ(当時)の1試合19奪三振もマーク。同年秋のドラフトで巨人オリックスから1巡目指名を受けた。しかし、巨人入団後は制球難に悩まされるとともに肘、肩と度重なるケガにも苦しみ、在籍8年間で1軍未登板のまま2013年オフに戦力外通告を受けて現役引退。引退後は、日本女子プロ野球機構の指導者となり、現在は埼玉アストライアのヘッドコーチを務めている。

 その辻内よりも前に甲子園を沸かせた黄金左腕が、川口知哉(平安)だった。1997年の甲子園に春夏連続で出場し、切れ味抜群のカーブを武器に夏の大会で準優勝。インタビューでのビッグマウスぶりでも注目を集め、将来のエース候補として、オリックス、近鉄、ヤクルト、横浜の4球団からドラフト1位指名を受けた。だが、オリックス入団後はフォームを崩し、在籍7年で1軍登板9試合(0勝1敗)のみで引退。建設業で働いていた後、2010年から辻内と同じく女子プロ野球のコーチを務め、現在は兵庫ディオーネのヘッドコーチになっている。

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