政宗がなぜ、右目を失ったかということについては、天然痘によるものであるという点で医史学者の意見は一致している。天然痘は非常に致命率が高く、治癒した場合でもひどい瘢痕を残す。皮膚では痘痕になるし、眼にできれば失明する。種痘の普及する江戸末期まで、日本人の失明原因としては最多のものだった。

 天然痘は古代エジプトのミイラに痘痕がみられるなど、歴史を通じてパンデミックを繰り返している。新大陸では住民に免疫がなかったため、スペイン人征服者の到来とともに全人口の90%以上が天然痘で死亡した。日本には6世紀に渡来人によってもたらされ、敏達天皇や藤原四兄弟など天皇や高位貴族が次々に犠牲になり、以後戦国時代まで流行を繰り返す。

■種痘の効果

 西洋でも同様だったが、牛痘にかかった乳搾り女が痘瘡に罹らないことに注目した英国の医師エドワード・ジェンナーが1796年、近所の貧しい少年ジェームズ・フィップスに牛痘を接種し、予防効果を証明した。現在ならば倫理委員会が絶対に許さない人体実験だが、ジェンナー自身も気が咎めたらしく、後にフィップスに経済援助したり家を与えたりしている(たかられたという説もある)。

 牛痘接種は瞬く間に欧米各国に広がり、日本にも1810年にロシア経由で中川五郎治が伝えたが、秘伝の治療で高額の報酬を要求したため普及しなかった。日本で本格的に種痘が普及したのは嘉永2年(1849年)で、オランダ人の医師モーニッケが蘭領バタヴィア(ジャワ島)より長崎に運んできたものを佐賀藩の藩医楢林宗健が佐賀藩主世子はじめ同地の貴賤男女に広く接種した。これを受けて幕府は神田お玉が池に種痘所を設置、これが後に東京大学医学部の母体となる。江戸末期には全国で広く種痘が行われるようになった。天然痘はヒト以外に感染せず、種痘で完全に予防ができるので、WHOが中心となった天然痘撲滅プロジェクトにより1977年以降発症者は出ていない。

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