2020年の東京オリンピック開催まで、あと3年を切ろうとしている。53年前の東京五輪は日本に何をもたらしたのか。朝日新聞社が1923(大正12)年から2000(平成12)年まで発行していたグラフ誌「アサヒグラフ」が報じた写真の中から、鉄道音楽家として活躍する向谷実さんの記憶に残るオリンピックと鉄道、そして高度経済成長期の日本について語ってもらった。
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小さいころから、よく切符を収集していました。最近事務所の移転があり、昔集めた切符の整理をしていると、昭和39年発行のものが多くありました。このころ何があったのか。西暦にするとわかりやすいかもしれません。1964年、この年の10月に東海道新幹線が開業し、そして東京オリンピックが開かれました。
僕は1956年生まれで、オリンピックの年には8歳でした。まだ幼い子どもでしたが、オリンピックに向け東京の街、日本の社会全体が明るくファッション化していく様子は覚えています。それまでは、ロゴマークというもの自体をあまり見たことがなかったのですが、「東京オリンピック」というカラフルなロゴマークを街中で見かけるようになりました。ものすごくデザイナブルで、綺麗でかっこいいと思った記憶があります。当時は高度経済成長期真っ只中。街並みだけでなく、テレビも白黒からそろそろカラーになり、社会全体がカラフルになっていたのではないでしょうか。手元には東京オリンピックを記念する切符がありますが、どれもカラー刷りで、古さを感じさせません。
実はこのころから、電車もカラフルになりました。最も印象的なのは1963年に登場した国鉄103系電車でした。この時に現在に至る路線別のカラーというものが確立しました。山手線だとウグイス色、中央線のオレンジ色、総武緩行線のカナリア色、京浜東北線のスカイブルーといったものですね。国鉄103系は101系をベースに改良したものなのですが、この電車の登場も衝撃的でした。101系は「新性能電車」と呼ばれており、それまでの電車が低いうなり声をあげるような音を出す、吊りかけ式モーターだったものが、カルダン式駆動という新しいタイプのモーターに変わりました。電車が動く時の音の違いに感動した思い出があります。さらにドアの開閉もそれまでは片扉がほとんどだったのですが、101系からは両開きが主流になりました。