栗原小巻さんが語る「三姉妹」の思い出 (c)朝日新聞社
栗原小巻さんが語る「三姉妹」の思い出 (c)朝日新聞社
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 第1作「花の生涯」から4年目の1967年は、明治維新から数えて100年に当たるメモリアル・イヤーだった。「企画部」「演出室」「制作部」を立ち上げて三権分立の制作システムを確立したNHK芸能局は、5作目の大河ドラマの選定に力を注いだ。

 その先遣隊ともいうべき企画部は、「『源義経』に次ぐ5作目は明治維新100年をモティーフにした物語とし、著名な作家に原作の執筆を依頼する」と衆議一決。原作を大佛次郎氏、脚本を鈴木尚之氏に依頼した。

 その依頼を快諾した大佛氏は、タイトルを「三姉妹」とした。しかしライフワークである「天皇の世紀」の準備が長引いたために、オリジナル原作を書き下ろす時間が取れなくなった。

 結果は300枚のシノプシスのようなものしか書けずに終わったが、そこには企画部の「三姉妹」にかける並々ならない意欲が垣間見える。

 脚本の鈴木尚之氏は巨匠・内田吐夢監督の愛弟子で、「宮本武蔵」5部作の他、名作「飢餓海峡」を執筆した映画界のベテラン脚本家だ。氏はそれまで常識とされてきたナレーションを、「ドラマの緊密性を損なう」として周囲の強固な反対を押し切って、初めてナレーションなしのドラマを書き上げた。

 そのように「三姉妹」は新たな試みが多いドラマだった。例えば過去4作の大河ドラマは歴史上の人物が主人公だったが、「三姉妹」は架空の人物を主人公に据え、なおかつ初めて女性に設定した作品。

 そこにも大河ドラマに対するスタッフの気合が現れている。ちなみに、翌年からディレクターは2人から3人の複数制に移行したので、清水満氏は全52話をひとりで手掛けた最後の演出家となる。

 幕末。旗本の家に生まれた、むら(岡田茉莉子)、るい(藤村志保和)、お雪(栗原小巻)の三姉妹が歴史の波に翻弄(ほんろう)されていく、というのが物語の骨子だが、お雪役の栗原小巻さんは当時をつぎのように回想する。

「岡田茉莉子さん、藤村志保さんとの姉妹役、お話をいただいた時、とても光栄に思いました。当時、テレビドラマの世界は、映画、演劇、ドラマのスタッフ、俳優が、お互いに切磋琢磨(せっさたくま)して、情熱が熱気となって、作品を創造していました。何作か、重要な役を経て、『三姉妹』末娘役お雪に、抜てきしていただきました。準備段階で、岡田茉莉子さん、藤村志保さん、長兄役の芦田伸介さんと共に、大佛先生の作品の意図、時代背景を、直接先生のお話を伺う事によって、学ばせていただく機会がありました。大河ドラマには、違う次元の大きさがあると感じ入りました。大先輩、志村喬さん、滝沢修さん、先輩の山崎努さん、山口崇さん、作品の中でご一緒させていただいた素晴らしい俳優のみなさん、どの場面も印象に残っています」

 栗原さんは初めての収録の思い出をこう振り返る。

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