自然体の坂井さんを撮影するために、伊藤氏ら映像チームは、スチールチームと協力して、あらゆる場所をロケハンしてまわった。

「ZARDのイメージに合う場所を常に探し回りました。ZARDの映像の企画性は不要なわけですから、いいイメージを1カット撮れればOKです」

 特に印象的なのは湘南での撮影だ。

「三浦半島をぐるりと一周ロケハンして。秋谷や葉山で撮影しました。秋谷の映像は1999年のシングル『MIND GAMES』で使っています。撮影の日は曇天で空がのっぺりした雲に覆われていたので背景はあきらめて、ビーチで風と戯れる坂井さんをありのまま撮影しました。海を臨むDONというイタリアンレストランでランチをとりました」

 シングル「愛が見えない」のロケの葉山では、ちょっとしたアクシデントがあった。

「ラ・マーレ・ド・チャヤの撮影で、ウエイトレスさんが緊張してコーヒーをこぼしたんですよ。坂井さんの白い衣装がコーヒー色に染まってしまった」

 スタッフは慌てた。

「今日の撮影は中止かな……」

 伊藤氏もあきらめかけた。

 しかし、坂井さんは何事もなかったようにふるまった。

「大丈夫です。すぐに着替えてくるから、続けましょう」

 ウエイトレスさんを気遣い、そのまま撮影を継続した。

「コーヒーがかかる一瞬前の映像はどこかにまだあるはずです。その後は、僕も動揺してカメラを置いてしまったので。音声だけしか残っていません」

 葉山の西隣の逗子でも撮影を行った。

「逗子海岸の南側、国道134号線沿いの小さな岬の上に、2階建てロンドンバスを改造した黄色いホットドッグ屋さんがありました。サブマリンドッグという有名な店です。あそこでも撮りました。スチールは『サヨナラは今もこの胸に居ます』のジャケットになっているので、ファンの皆さんはご存じだと思います」

 1990年代は撮影も活発だった。

「2000年代に入ると、坂井さんの体調のこともあり、撮影の機会は少なくなっていきました。ただ1度行われた2004年のツアーも、オフショット映像などはほとんど撮っていません」

 レンズを通して坂井さんを見続けてきた伊藤氏の思う「坂井さんらしさ」とはいったいどういう姿なのだろう。切なげなのか。はかなげなのか。

「何かを想像させる映像やスチールではないでしょうか。何を考えているんだろう、何を望んでいるのだろう、と見る側が思いを膨らませて行く。そんな画です。ZARDの曲は坂井さんが歌詞を書き、坂井さんが歌っています。でも、リスナーは自分の物語として聴くこともあるんじゃないでしょうか。ZARDの映像も同じで、強い1カットの映像が、皆さんの心にいつまでも焼き付いて残って行くような気がします」

(文/神舘和典)

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神舘和典

神舘和典

1962年東京生まれ。音楽ライター。ジャズ、ロック、Jポップからクラシックまでクラシックまで膨大な数のアーティストをインタビューしてきた。『新書で入門ジャズの鉄板50枚+α』『音楽ライターが、書けなかった話』(以上新潮新書)『25人の偉大なるジャズメンが語る名盤・名言・名演奏』(幻冬舎新書)など著書多数。「文春トークライヴ」(文藝春秋)をはじめ音楽イベントのMCも行う。

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