来年2月に開催される平昌五輪でのメダル獲得を目指して、早くも韓国へ移り住んだ選手がいる。ショートトラックの日本代表としてソチ五輪に出場した坂爪亮介(27)だ。
2016年5月に韓国へ移住し、世界トップクラスの選手層を誇る韓国勢と1日7~8時間の練習をこなす。なぜ、早くも“臨戦態勢”にあるのか? 一時帰国した坂爪に聞いてみた。
韓国はショートトラックの強豪国であり、14年に行われたソチ五輪では女子3000メートルリレーの金を含め三つのメダルを獲得した。全国各地に通年リンクがあり、有力選手や指導者の多くは自治体が運営するチームに所属してプロのような待遇で、練習に集中できる環境が整っている。
一方、日本は近年、苦戦している。世界選手権が始まった1980年代に多くの世界チャンピオンを輩出。92年アルベールビル五輪の男子5000メートルリレーで銅、98年に日本で開催された長野五輪では男子500メートルの西谷岳文が金、植松仁が銅と健闘したものの、その後は五輪でメダルを獲得できていない。「氷上の競輪」といわれるほどスピード感にあふれ、見応えのあるスポーツだが、日本ではフィギュアやスピードなどほかのスケート競技に比べて注目度は低いのだ。
武者修行中の坂爪が住んでいるのは、ソウル市南郊の衛星都市・城南市で、練習場所は「城南市庁」という強豪チームの拠点であるタンチョンスケートリンク。朝夕に2時間ずつの氷上練習と計3時間半の陸上トレーニングを2度に分けてこなす。日本においては、フィギュアやアイスホッケーの選手とリンクを共用しなければいけないため、十分な練習時間を確保できない現状があった。
日本を離れて単身で韓国に住み、練習に明け暮れる毎日について「経済的に楽ではない」という。しかし、望んだ環境だからこそ、迷いはない。「合宿や大会で韓国を訪れた日本人選手は多いが、移住までしているのは自分だけ」と坂爪。聞けば決断には、並々ならぬ覚悟があった。
ソチ五輪の4カ月前、転倒して右足のふくらはぎを骨折した。「全治半年以上」と診断されたにもかかわらず代表権を得ていたので、金属プレートを埋め込む手術を受けて1カ月半で復帰、五輪に強行出場した。状態は万全からほど遠く、1000メートル、1500メートルとも予選敗退に終わっている。
初出場したソチ五輪で力を発揮できなかったことから「平昌五輪に向けては、恵まれた環境で、できることをすべてやって臨みたい」と韓国への移住を決めた。大学4年の11年冬に約2週間と、社会人1年目の12年夏に約2か月間にわたって韓国で武者修行し、同年末の全日本選手権で初の総合優勝を果たしている。「韓国でなら必ず成長できる」という確信があった。教えを乞うのは10年まで韓国の代表コーチを務めた指導者であり、練習仲間も実力者がそろっている。
「韓国の多くの選手の体には転倒による傷が残っている。レースで激しくぶつかり、ポジション争いを繰り返してきたからだろう。また、五輪でメダルを獲得すれば兵役が免除されることから、競技に取り組む意識がとてつもなく高い。いつも刺激を受けている」(坂爪)