国内戦の盛んであった南北朝時代には、身幅が広く大きな鋒をもつ、刃長3尺(90.9センチ)に余る長大な太刀が好まれた。平安時代後期からこの時代までに作られた太刀は、後世大磨上(おおすりあ)げ(茎[なかご]から寸法を短く詰めること)され、無銘の刀に改造された刀剣が多い。

 室町時代前期の刀剣は、身幅が狭く刃長は2尺4、5寸(72.7~75.8センチ)で、わずかに先反りが見られるのが特徴だが、一見鎌倉時代の作品と見まがうものが多い。この時代で注目すべきは、太刀にとって代わり、刀(打刀)が登場したことで、これ以後は刀と、刀を短くした脇差しが刀剣生産の中心となった。刀は太刀とは逆に、刃を上に向けて腰に差した。

 室町時代後期になると、戦闘様式は一騎駈けから徒歩の集団戦に移り、刃を上に向けて差す刀が多くなった。国内全体の戦乱の増加によって、刀剣の需要も著しく高まり、備前と美濃(岐阜)が二大生産地となった。この時期の刀の寸法は2尺1寸(63.6センチ)前後と短めである。短い刀は、片手での扱いに適すように作られた。

 刀剣史上、慶長年間(1596~1615)以前の遺品を古刀(ことう)、以後の刀剣を新刀(しんとう)と呼ぶ。桃山時代以降、刀鍛冶は京や江戸を始め、新勢力の諸大名の城下町を中心に集まった。また交通の全国的な発達は鉄資材の交流を促した。

 桃山時代から江戸時代の初めにかけて作られた刀は、南北朝時代の太刀の姿によく似る。広い身幅で、刃長は2尺5寸前後の作品が多い。

 江戸時代中期の刀剣は反りが浅く、小さい鋒が特徴である。刃長は2尺3寸(69.7センチ)前後のものが多く、この独特の姿は17世紀後半の寛文・延宝年間頃に多く作られていることから「寛文新刀」と呼ぶ。

 江戸時代後期の、19世紀初期以後に作られた刀剣を新々刀または復古新刀と呼ぶ。著名な作者に水心子正秀(すいしんしまさひで)や源清麿らがおり、その技量は高く評価された。

 以上のように、刀剣の姿かたちや寸法は、時代の流れや戦闘方法に応じて変化してきたのである。

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