火坂作品は、そのお人柄を反映してか下品なところが一切なく、ひたすら清廉で真っすぐである。おそらくご自身が、歴史小説界のメインストリートを歩んでいるという自覚をお持ちだったのではないだろうか。それゆえ、作品中に出てくる主人公が徹頭徹尾、正義なのはもちろん、悪役でも、なぜか品格があって憎めないのだ。

 その清浄で一点の曇りもない作品世界の前では、私のような凡百の作家の一人は、ひれ伏さざるを得ない。

 作家としての火坂さんは、私生活同様、実に幸せだったと思う。

 作家は、その生命の灯が消えても作品が残る。作品は作家が確かに生きていたという証拠であり、生々しい息づかいを未来永劫に伝えていく。とくに火坂さんのように完成度の高い作品群を残せた上、大河ドラマの原作となる作品まで出せた作家は、死を迎える最後の瞬間、充足感に包まれていたはずだ。

 私もいつか死を迎える。おそらくその時、自分の歩んできた轍を振り返り、充足感に包まれているはずだ。だが一つだけ、不安がある。

 それは、途中まで書いていた作品が日の目を見ずに埋もれてしまうことだ。

 火坂さんは、『北条五代』と題した大作に取り組んでいる最中に病を得た。

『北条五代』の執筆を始められる時、火坂さんは「さあ、次は北条だ」と明るい声で言われたという。おそらく火坂さんは、新たな挑戦に胸を弾ませていたはずだ。しかも列車はずっと走り続け、さほど遠くない将来、『北条五代』も過去の停車駅の一つになっているはずだった。

 しかし火坂さんは、その完成を待たずに列車を止めねばならなかった。その無念はいかばかりか。

 今、冥府におられる火坂さんに唯一、悔いがあるとしたら、『北条五代』を脱稿できなかったことであろう。

 わたしたち後進にできることは、その無念を無念として終わらせることなく、バトンを引き継ぐようにしてゴールまで走りきることだと思う。

 このほど、火坂さんの奥様のお許しを得て、不肖私が『北条五代』のバトンを受け取ることになった。

 火坂さんの衣鉢を継ぐ限り、火坂さんに対して恥ずかしくない作品を書くつもりである。しかも火坂さんがメモで残した構想を、できる限り実現させたいと思っている。

 かくして『北条五代』が再開される。その重責を喜びに変えつつ、必死の思いで取り組んでいくつもりだ。

※「小説トリッパー」2017年春季号掲載

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