「東京の台所」築地市場。約80年に及ぶ歴史を支えてきた、さまざまな“目利き”たちに話を聞くシリーズ「築地市場の目利きたち」。フリージャーナリストの岩崎有一が、私たちの知らない築地市場の姿を取材する。
市場というとマグロや鮮魚といった生の魚を想像するが、仲卸では実に多様な食材を扱っている。今回は、塩干物(えんかんぶつ)の老舗「明藤(あかとう)商店」で、干物の目利きに教えを請うた。
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「合物(あいもの)」という言葉がある。
築地市場で扱われている魚介類は、マグロのような大物や、鮮魚、活魚だけではない。仲卸店を練り歩いていると、アジの開きやイクラ、かまぼこなど、多様な食材の専門店がいくつもあることに気づく。
合物とは、あまたある魚介の食材のいちカテゴリーであり、アジの開きや丸干しなど、干物と呼ばれるもの全般のことを意味する。現在では、味付けをした魚の切り身パックのような、調理済みの加工食品も、合物でくくられている。合物とは別に干魚(かんぎょ)という言葉もあり、こちらはシラスや煮干しなど、干しただけの魚を指す。合物と干魚を合わせ塩干物と呼ぶこともある。
合物の世界を学ぶため、明治創業の塩干物の老舗、明藤商店に話を聞くことにした。
4代目社長の宮原洋志さんは初めて訪ねた日に、「昔とはずいぶん変わったもんですよ」と話してくれた。
「数の子ってありますでしょ。昔は冷蔵設備がありませんでしたから、ニシンの卵をそのままカラッカラに干して売っていたんです。これを鯑子(きっこう)と呼んでいました。これが数の子の主力で、明治から昭和初期にかけて、多く流通していました。カマスというワラで編んだ袋に24貫目(96キロ)入った鯑子が、北海道から(築地市場開場前の)日本橋魚河岸に送られてきます。届いた鯑子は、土蔵の蔵に入れて保管することになるのですが、それを食べたネズミが、喉が渇いて水を飲んだ結果、腹のなかで鯑子が膨れ上がって、その辺に転がっているなんてことが、よくあったそうです。干物屋の風景というのは、昔はそんな感じでした。今はそんなことないですから」
腹の膨れたネズミがその辺に転がっている…… 想像すらできない昔話を聞いて、合物の世界をますます知りたくなった。
後日、午前2時過ぎに店を訪ねると、配達担当の渡辺さんが、ひとりで開店準備をしていた。他の仲卸と違い、明藤商店では氷を棚にはることもなく、床も乾いたままであることに驚く。商品のほぼすべてが冷凍されて発泡や段ボール箱に入っており、魚をさばくこともないため、水で床を流す必要もないからだ。さらに社長は、築地のほとんど誰もが履いている長靴を履いていなかった。魚河岸にいながら店内が乾いていることに、合物屋さんの独特さを感じた。