●豪徳寺と松陰神社の御利益と因縁
この猫の御利益なのか、井伊家は江戸幕府が崩壊するまでずっと要職を務めることになる。有名な「桜田門外の変」で暗殺された大老・井伊直弼は、彦根藩の15代藩主で、教科書などに載っている井伊直弼の肖像画は、豪徳寺所蔵のものである。
さて、井伊直弼が暗殺されるきっかけといえば、「安政の大獄」である。江戸末期の混乱の中で、直弼は多くの弾圧を行ったが、中でもこの時は、吉田松陰や橋本左内ら8名を死刑にしたほか、多くの獄死者を出し100人以上を処罰した。
吉田松陰は、明治維新の推進力となった多くの塾生を育てた人物である。居を構えていた萩から江戸に移送され、結局、伝馬町の牢屋敷で斬首されるのだが、他の刑死者とともに小塚原の回向院(現在の東京都荒川区南千住)へ埋葬された。
盗賊などと同様に扱われたことに我慢ができなかった高杉晋作、伊藤博文ら教え子たちは、処刑から4年後、毛利家別邸にひそかに亡きがらを改葬した。それが今の松陰神社のはじまりとなる。松下村塾はじめ、吉田松陰関連の史跡の多くは長州藩だった現在の山口県萩市にある。だが、吉田松陰の正式なお墓はこの松陰神社にある。そして、そのわずか1キロほど離れた場所には因縁の井伊家菩提寺の豪徳寺があり、井伊直弼のお墓もここにあるのだ。これを奇縁と言わずしてなんと言おう。
招き猫の豪徳寺は今では都内有数の金運祈願スポットとなっている。そして
松陰神社は、吉田松陰にちなんで勉強の神さまであり、「志」祈願神社でもある。つまり、「志を遂げて成功を収め、お金持ちになりたい人」にとっては、この2つの寺社を一緒に回ると御利益倍増というわけだ。
歴史を知るものにとってはまことに興味深い組み合わせだが、井伊直弼と吉田松陰がこれを知ったらどんな顔をするだろう。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)