ロンドン五輪で7位に終わった女子70キロ級の田知本遥(ALSOK)が、リオ五輪ではリベンジに成功し、日本柔道女子として初の金メダルを獲得した。
田知本は「最後は(抑え込んで)絶対に離さないと思いました。4年間で一番変わったのは、気持ち。どん底を味わったけれど、失敗を乗り越えて強くなった」と自身の成長を実感した。多彩な選手がそろう激戦の階級で、“凛とした柔道”を貫いた。
田知本の所属先は、富山県の小杉中から小杉高、東海大を経てALSOK入りするまで2歳上の姉、愛(めぐみ)とまったく同じ。78キロ超級で五輪出場を目指す姉の背中を見ながら歩んできた。
出身地の富山県射水市小杉地区は柔道の盛んな地域で、父の又広(やすひろ)さんは、小杉中が初めて全国制覇したチームの主将である。姉妹は幼いころから熱心な指導を受けていたが、小学生のころの田知本は「正直なところ、イヤイヤだった」という。「姉もやっているから」という思いから週2回、遊び感覚で練習する程度だった。
田知本が競技にのめり込んでいくのは中学生になってから。小杉中1年生の夏、全国大会でいきなり3位(63キロ級)に入り、柔道の面白さに目覚めた。「優勝できそうな自分」が見え、「あと一歩だ」と思った。また、監督である朽木淳司教諭の指導方針から、小杉中には「女子柔道部」がなく、田知本姉妹は男子と一緒に稽古したので、練習の質と量は必然的に多くなっていた。
残念ながら、2年生で準優勝、3年生の時は5位(70キロ級)と、日本一になれないまま中学を卒業した田知本だったが、小杉高入学後は1年生で姉と一緒に戦って団体優勝。2年生の時もチームの主力となって団体を制し、3年生では個人で優勝を果たした。田知本にとって姉・愛はどんな存在なのか?
「双子の姉妹のように同じ道を歩んできました。姉はコツコツと努力して欠点を直していくタイプ。『負けないくらい練習しよう』と思わせてくれる存在であり、いつも刺激を受けてきました。階級は違いますが、ライバルのように意識してきました。団体戦で同じチームとして戦う時は心強く感じます」(田知本)