信長は宣教師ルイス・フロイスの話す地球の構造や、ヨーロッパの政体を一瞬で理解するなど高い知能を有していたことは間違いないが、同時に精神病理学的には情性欠如型人格障害があったのかもしれない。感情のコントロールは前頭葉でなされるが、その障害があると、合理的判断ができず、賭けで大損をしても「後悔」を示す感情が生じない、他人には不可解な経済的判断をするなどの特徴が知られている。さしずめ、信長愛好の「初花」の茶入れなどはその好例かもしれぬ(筆者の理解をはるかに超えた美的鑑賞能力なのかもしれないが)。

 信長は天下統一を目前としながら、明智光秀の反逆により本能寺で49年の生涯を閉じる。一方、チェーザレと父アレッサンドロ6世は1503年夏、8月12日の離宮の夕食会の後に高熱と全身衰弱に襲われ、教皇は6日後に死亡、チェーザレは回復するが教会軍総司令官の職を追われ、追放先のナヴァールのつまらない局地戦で戦死する。チェーザレの旗印は“Cesare o Nihil”「帝冠か無か」だったが、「天下布武」を旗印としながら「人間五十年下天のうちを較ぶれば夢幻のごとくなり」と敦盛の一節を好んだ信長の趣味に一致する。

 信長というと、短気で癇癪持ちというのがドラマや小説のステレオタイプである。実際にはどうだったのだろうか。

 日本における医史学の創始者のひとりである服部敏良博士は、巷間信長の残忍性が伝えられるのは、本能寺の変で光秀に討たれたために、信長が光秀を苛めた、さらに信長の性格が悪かったという因果応報論を元にした憶測が生じたのであり、特に性格異常があったとは考え難いとしている。

 作家で整形外科医でもある篠田達明博士は、織田信長が本態性高血圧のため怒りっぽく、光秀がもう数年待てば脳出血であの世に行ったはずとしているが、これは若干根拠に乏しい。確かに高血圧特有の性格はあるが、その逆はない。つまり怒りっぽいから血圧が高いとは言えず、ましてや脳出血のリスクを予測することは困難である。しいて言えば信長は野心的で攻撃的なタイプAの行動パターンの典型であり、心筋梗塞のリスクは高いかもしれない。しかしながら、弱肉強食の戦国時代、攻撃的でなければ何人も生き残れなかったであろう。

【出典】
1 王丸勇『病跡学・史学閑談』金剛出版、1983
2 Camille N, Coricelli G, Sallet J, et al. “The Involvement of the Orbitofrontal Cortex in the Experience of Regret”. Science. 21 May 2004 ; 304:1167-1170, 2004.
3 Padoa-Schioppa C, Assad JA. Neurons in the orbitofrontal cortex encode economic value. Nature. 2006
May 11; 441(7090):223-6.
4 塩野七生『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』新潮文庫、1982
5 服部敏良『室町安土桃山時代医学史の研究』吉川弘文館、1971
6 篠田達明『偉人たちのカルテ 病気が変えた日本の歴史』朝日文庫、2013

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早川智

早川智

早川智(はやかわ・さとし)/1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に戦国武将を診る(朝日新聞出版)など

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