こうして始まった密着取材。現場での新津さんは、とにかく生き生きとして、清掃を心底楽しんでいる、まるで少女のようでした。普通なら見逃しそうなわずかな汚れを数十メートル離れた所から見つけ、「あった!」と叫ぶと、嬉嬉として落としていくのです。そのために使う洗剤は80種類を超え、自ら清掃道具を開発してまでキレイにしようとするこだわりぶり。しかも新津さんは、ただ目に見える汚れを落とすだけでは満足しません。たとえばトイレに設置してある手の乾燥機。ぱっと見てきれいになったので、撮影クルーが「きれいになりましたね」などと言ってもどこか不満げ。「臭いが残っているとだめだから」と、乾燥機を分解して中を清掃し始めたのです。その徹底ぶりは、床、ガラス、鏡、便器、あらゆるものに及び、まるで空間そのものを清掃しているかのようでした。

 どうしてそこまでするのか。新津さんは笑って答えました。

「仕事をしている以上プロですよね。プロである以上そこまでやんないと。気持ち。気持ち。別に誰に言われてるわけでもないけど。でもこうすると全体がきれいに見えるでしょ。やっぱり、全体をきれいにすると気持ちいいじゃないですか」

 そして自らの“仕事の流儀”を、こう表現しました。

「心を込(こ)める、ということです。心とは、自分の優しい気持ちですね。清掃をするものや、それを使う人を思いやる気持ちです。心を込めないと本当の意味で、きれいにできないんですね。そのものや使う人のためにどこまでできるかを、常に考えて清掃しています。心をこめればいろんなことも思いつくし、自分の気持ちのやすらぎができると、人にも幸せを与えられると思うのね」

 衝撃を受けました。掃除は誰もが常日頃していると思いますが、少なくとも私は水回りや汚れた所を掃除する時、面倒くさがってしまいます。嫌な気持ちになり、汚れに見て見ぬふりをしてしまうこともあります。汚れたものを思いやることや、優しさを持つなんてできないかもしれない。それを新津さんは自分のためではなく、自然と、そこを使う誰かのためにしている。

「人に評価されるからやってるわけではないんですよね。そこまで私は思ってないんです。自分がどこまでやれるか、自分を清掃の職人だと思っているんです。あくまでそれをやった上で、人がこう感じました、喜ばれたというのが人の評価ですから。すべてが人に褒められるということを目的にしていないんです」

 そのどこまでも優しい心は、清掃の域に留まりませんでした。ロビーで電車の磁気カードを拾えば、持ち主を探しに空港中を駆け回ります。道に迷った人がいれば、率先して道案内。荷物で手がふさがっている人がいれば、先回りしてドアを開けて待ちます。それがたとえ夜勤明けでふらふらであっても、絶対に疲れた顔を見せませんでした。それどころか、もっとお客さまのためにできることはないか、どこまでも奥深く自らの仕事を突き詰めようとする姿がありました。

「空港は家と思っているんですよ。自分の家だと思っているんで、おもてなしでないといけないんです。自分の家に、いつもきてくださいよって、リラックスしてくださいよって。リラックスっていうのが、きれいでないといけないんですよ」

 新津さんは、決して順風満帆な半生を送られてきたわけではありません。残留日本人孤児2世というだけで中国でも日本でもいじめにあい、自らの居場所を見いだせずにいたそうです。さらに日本に帰国した際は十分な蓄えもなく、一時はパンの耳を食べて過ごした日々もあったと聞きました。

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