1984年からの改革開放政策により、経済技術開発区として開発が進められた天津経済技術開発区。写真は爆発から10日後の2015年8月22日のもの
1984年からの改革開放政策により、経済技術開発区として開発が進められた天津経済技術開発区。写真は爆発から10日後の2015年8月22日のもの
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 今年8月12日に発生し、170人以上の死者・行方不明者を出した中国・天津の倉庫爆発事故。想像を遥かに超える爆発の威力、さらに日本を含む各国の企業が進出していた地域の事故ということもあり、中国国内に限らず世界中のあらゆるメディアが、事故の惨劇を伝え、今でもネット上にはその凄まじさを物語る画像が転がっている。その一方で、中国当局の厳しい情報統制や報道規制もあり、事故原因や死者数を巡って多くの情報が錯綜。事故から1ヵ月半以上が経過した今もなお、“真相”ははっきりしていない。

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 9月18日に発売された写真集『SATELLITE(サテライト)』(朝日新聞出版)は、人工衛星が撮影した世界各地の街や自然などを収める一冊。その中にも、見開き1ページを使い、同爆発事故後の「天津経済技術開発区」の衛星写真が掲載されている。

 爆発の影響からか、街全体が茶色く煤けたように見える、この写真。写真を左右に2分割した場合、左側の中央部に当たる場所を周囲の建造物と比較すると、かなり巨大な穴が確認できる――“爆心地”だ。本書の著者である佐藤健寿氏は同ページに「ネット上では現場の状況や死傷者数を巡って情報統制が行われているという批判もあったが、現代では世界のどこで何があろうと、人工衛星が撮像し、現場の状況が白日のもとに晒される時代に、私たちは生きている」と記す。

 1966年、環境運動家で作家のスチュアート・ブランドは、NASA(アメリカ航空宇宙局)に対して地球の写真を公開する請求運動を展開し、その2年後に出版した伝説の雑誌『Whole Earth Catalog』の創刊号にはアポロが撮影した地球の写真を添えた。ブランドの行動について、佐藤氏はこう解説する。

「地球を俯瞰した衛星写真を人々が見ることによって、人類の意識がより大きな視点へと変革されるはずだと、信じていたからである」

『SATELLITE』ではほかにも、平壌の街並み、イギリスの政府通信本部、オーストラリアのハロルド・E・ホールト海軍通信基地(全地球監視システム「HAARP」の拠点と噂される施設)といったスポットの、宇宙から捉えた姿を掲載している。

 ブランドの請求運動から約半世紀が経過。アポロの時代とは比べ物にならないほど、人工衛星の精度は飛躍的に高まり、この惑星の姿を日々、記録し続けている。人工衛星から送られてくるこの星の真の姿を目にしたとき、人々にどのような意識の変容をもたらすのか。地球の今を確かめてみてはいかがだろうか。