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小泉今日子著/写真:若木信吾
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 どうすれば小泉今日子のように、齢とともに魅力を増していけるのか―― その秘密を知ることは、現代を生きる私たちにとって大きな意味があるはず。

 日本文学研究者である助川幸逸郎氏が、現代社会における“小泉今日子”の存在を分析し、今の時代を生きる我々がいかにして“小泉今日子”的に生きるべきかを考察する。

※「変幻自在だった『小泉今日子のアイドル時代』」よりつづく

*  *  *

 小泉今日子はアイドル時代から、演じる役によって体ごと雰囲気が変わるタイプでした。そんな風に「変幻自在であること」を、あらゆる俳優が目指すわけではありません。たとえば斉藤由貴は、1986年のインタビューで次のように話しています(斉藤由貴は小泉今日子とおなじ1966年生まれです)。

<自分でなりたい、なりたくないにかかわらず、結構なるべきものってあると思うんですよね、役者の世界って。私はそんな気がするんですよ、その人の持ってる感性とか(中略)……結局その役柄にいかにその人間が合っているかによって、結構選ばれちゃうことってあるような気がするんです、私は>(注1)

「役にあわせて自分が変わること」より、「役にふさわしい資質をもともと持っていること」が大切である――これが斉藤由貴の持論です。斉藤由貴にとって「演じること」は、「他の何かになること」ではなく、「自分の内なる何かを抽出すること」なのでしょう。

 小泉今日子の演技論はそれと正反対です。上の斉藤由貴のインタビューと同じ時期に、こんな発言をしています。

<割と『生徒諸君!』のように、バカみたく可愛い役の方がいいんですけど。現実離れっぽいのが好きというか、現実的だと何かこう照れ臭いですよね。他人が(私のことを)こう見てるんだと思っちゃうと恥ずかしい気がするし、本当の自分にあんまり自信がないから、いつもごまかしてるっていうか、無意識のうちに本当の自分とちょっと違うことをしていて、それが他人から本当のコイズミだって見えちゃうのってラッキーだと思う>(注2)

 小泉今日子は「『虚像』を『実像』と誤認されること」に喜びを見いだしています。当時の彼女にとって、演技は「自己表現」ならぬ「自己隠蔽」の手段でした。役に応じて大きく雰囲気が変わるのは、他人になりきることで「本当の自分」を隠そうとしているからだといえます(ということは、『十階のモスキート』のリエも、当人と境遇は近くても、「素」で演じていたわけではなさそうです。リエの「存在感」は、あくまで監督の演出と女優の演技力の賜物なのでしょう)。

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