どうすれば小泉今日子のように、齢とともに魅力を増していけるのか―― その秘密を知ることは、現代を生きる私たちにとって大きな意味があるはず。
日本文学研究者である助川幸逸郎氏が、現代社会における“小泉今日子”の存在を分析し、今の時代を生きる我々がいかにして“小泉今日子”的に生きるべきかを考察する。
* * *
■「少女」と「消費文化」
小泉今日子が、「女の子に支持される女性アイドル」として、時代を駆けていた80年代半ば、言論界では「少女」ブームが起きていました。宮迫千鶴『超少女へ』(1984)、山根一眞『変体少女文字の研究』(1986)、本田和子『少女浮遊』(1986)など、「少女」をテーマとする書籍が相次いで登場。女性アイドル論もさかんで、野々村文宏・中森明夫・田口賢司の鼎談『卒業 KYON2に向って』(1985)や竹内義和『清純少女歌手の研究・アイドル文化論』(1987)などが出版されています。
どうしてこの時期に、「少女」に関心が集まったのでしょうか。
1950年代後半から、「既成の権威に異議申し立てをする文化=対抗(カウンター)文化(カルチャー)」がワールド・ワイドに広まりました。ロックンロールやモダン・ジャズがその象徴です。こうした「対抗文化」が、伝統的な「主流(メイン)文化(カルチャー)=純文学やクラシック音楽など」と対立していく構図が、15年ほどつづきました。60年代は、世界各国で学生運動が活発であり、「怒れる若者たち」が「対抗文化」を支えていました。
1973年のオイルショックと前後して、この構図に変化が生まれます。学生運動が衰退し、「対抗文化」が勢いを失ういっぽう、「主流文化」も権威も低下します。60年代の「怒れる若者たち」も、社会人になると「反逆」のトーンをゆるめ、下の世代の青年もそれにならいました。かといって、昔ながらの「主流文化」に栄光はもどらず、それらは次第に過去のものとみなされていきました。
「主流文化」と「対抗文化」の対立が崩れたのち、日本の文化シーンは、「消費文化」と「おたく文化」の両極がリードするようになります。
生活水準が向上し、自家用車も家電もだれもが買えるようになると、消費によって自己表現する傾向があらわれました。自分の属する文化圏や社会的ステイタスを、どんなクルマに乗り、どこのブランドの服を着るかによってアピールする風潮が生まれたのです。
こうした「消費による自己表現=消費文化」についていけない層もありました。「消費文化」からのそうした「落ちこぼれ」のなかで、マニアックなことに関心のある人びとが、「おたく文化」を生み出します。
「消費文化」も「おたく文化」も、「成熟」とは無縁なところは共通しています。消費は未成年にもできますし、アニメや特撮といった「子ども向けコンテンツ」を、いい歳になっても観ているのがおたくです。「主流文化=まっとうな大人が身に着けるべき文化」が衰えた後、何が「大人になること」なのかはっきりしなくなりました。「消費文化」対「おたく文化」という構図ができたことは、「大人になること」が難しい時代の到来を物語ります。
オイルショックのころに兆した「大人になりにくい状況」は、80年代になると、どこから見てもあきらかになりました。この時期、「モラトリアム人間」や「ピーターパン症候群」といった用語で、「いつまでも成熟しない人びと」が頻りに論じられています。
「少女」が注目されていたのは、そうした「大人にならない生き方」のモデルとみなされたからです。80年代少女論の総括といえる『少女民俗学』(1989)のなかで、大塚英志はいっています。