人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は「死に方は生き方である」。
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三月十八日は母の命日である。
今年は三十三回忌にあたるので、法要を営むことにしていた。父の四十三回忌と合わせて行い、これで法要は最後にしたいと思った。
父母の親戚に連絡したら、全員が出席してくれるという。日頃つきあいのない家も、こういう機会に会っておきたいと思ったのだろう。みな思いは同じである。
私にしても、あまり親戚づきあいなどしない方だが、この機会に会っておきたいと考えたのだ。
寺は下重の墓のある文京区の光源寺。寺自体が親戚でもあるので、法要の後、ゆっくりみんなで話しあえるよう、古民家を建て直した庫裡(くり)に移り、落ち着いた部屋で料亭の仕出し弁当をとりながら、夕方まで過ごす計画を立てていた。
そこへこのコロナ騒動である。高齢者が多いことから、秋に延期することにした。みな残念がったが、いたしかたない。
母の命日、十八日は彼岸のさなかである。私とつれあいでいつものように墓詣りに行くことにした。
花も桜や紫のミヤコワスレが好きだった母のために、親しい花屋に寄って自分で選ぶ。
生前、暁子命とばかりに私にかまけていた母に、私は反抗の限りを尽くしたが、亡くなってみると、母の掌の上だったと知らされることが多かった。
母は雪深い上越で福祉に尽くした自分の母の生き方を尊敬し、「おばあちゃんと同じ日に死にたい」と口癖のように言っていた。脳こうそくで入院し、一週間で「暁子に迷惑をかけたくない」と言った通りあっけなく亡くなった。
葬儀用の写真を探しに実家に行った時、同行した叔母が言った。
「あら暁子さん、三月十八日、おばあちゃんと同じ日よ」