1972年から14年間、音楽評論家・湯川れい子氏がDJを務めた伝説のラジオ番組「全米トップ40」。番組内では多くのスターの訃報も伝えてきたが、ジョン・レノンの死は最も衝撃的だったと、湯川氏はいう。当時の様子を音楽ライターの和田静香氏がこう記す。
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1980年12月9日(ニューヨーク8日)、湯川は銀座でクリスマス・プレゼントを選んでいた。ジョンと小野洋子の5歳になる息子・ショーンと、7カ月下の自分の長男・有宏貴に、同じロボットを買った。
車で家に戻ると、玄関の前に報道陣が集まっていた。
「何かあったんですか?」
「ジョン・レノンが亡くなりました」
「えっ?」
まったく事情がのみ込めなかった。たった4日前の12月5日、ジョンに電話インタビューをしたばかりだったからだ。
ジョンは快活な声で話していた。
「子どもが生まれてから、76年以外は毎年日本へ行っている。僕たちは東京と軽井沢を訪ねたけど、みんな僕らを放っといてくれてね。日本の人はすばらしいよ。日本にいると、心からくつろげるんだ」
77年10月には、日本に来ていた洋子とジョンに会った。ビートルズ来日時の、そっけなかったジョンの様子を思い出して言うと、
「ごめんね。あの頃の僕は、ビートルズにかかわるすべてにうんざりしていたんだ」
と言ってくれた。11年ごしの謝罪だった。
しかしジョンとの再会はなかった。最後のインタビューを「全米トップ40」でオンエアした2日後に、ジョンは撃たれて死んだ。
※週刊朝日 2012年6月8日号