アン ミカ:もう1回目はボロボロでした。19歳のときに5万円握りしめてパリに行ったんです。うちは貧乏で、4畳半に7人で暮らしてるような家だったんです。母親も早く他界したり、小中高とずっと新聞配達をしたりしてたので、早く働きたいという気持ちが強くて、15歳からモデル事務所に入ったんです。でも、まったく芽が出なくて、服飾専門学校のデッサンモデルといって、レオタード着てヒールはいて1時間半とか立ちっぱなしで、1日5千円もらえるのが最高の仕事というぐらい売れなかったんですよ。
林:信じられないです。
アン ミカ:どうしてもショーモデルをやりたくて、親に言ったら、父から三つの条件を出されて許してもらったんです。妹と弟がいて、たまに大きいお金を持って帰ってくるとお金の価値が狂ってしまうから、まず実家を出ること。一流モデルになるまで帰ってこないこと。そして新聞を読むこと。社会がどこに向かっているかがわかるから。
林:素晴らしいお父さまですね。
アン ミカ:資格をいま19個持ってるのも、父のおかげなんです。だからこそ、父との約束を守るため一流モデルになりたくてパリにすぐ挑戦しに行きました。
林:名門の延世大学(韓国)に行って韓国語も勉強し直したんでしょう?
アン ミカ:そうです。私が20代の終わりのころ、父が亡くなってしまったんですけど、その翌年がサッカーの日韓ワールドカップ(2002年)だったんですよ。日本と韓国のいいところを知る自分としてはお役に立てるはずなのに、ワールドカップ関係のオーディションに一個も受からなかったんです。
林:それは韓国語ができなかったからですか。
アン ミカ:ちょっとはできるんですけど、読み書きは一切できなかったんです。母は私が15歳のときに亡くなりましたし、父も亡くなったので、自分のルーツを知るためにも、両親のお墓をつくりに韓国にきょうだい全員で初めて行ったんです。
林:お墓は済州島でしたっけ。
アン ミカ:済州島です。親戚に会って、「やっと来てくれたか」と言ってくれると思いきや、「自分たちを裏切って日本でぜいたくをしている人」と思い込まれていて、ちょっと温度差があったんですよ。「今まで墓守をしてたんだからお金が欲しい」みたいな話になっちゃって、自分たちの正しいルーツを理解することができなかったんです。