ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する
ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する
この記事の写真をすべて見る

 ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、志村けんさんを取り上げる。

*  *  *

 私が毎週こうして書き続けている「アイドル」。その最大にして最強が突然逝ってしまいました。時代・世代・性別・ジャンル・人気・実力・値打ち・大衆性、すべてにおいておそらく後にも先にも彼を超えるアイドルは出現しないでしょう。志村けんさん。

 どんなスターにも「どんぴしゃ世代」というのが存在するものですが、こと志村さんに関しては、「全員集合世代」「加トちゃんケンちゃん世代」「だいじょうぶだぁ世代」など番組ごとの「どんぴしゃ」はいても、「志村けん世代」と呼べる特定のジェネレーションはいません。幼稚園児から80代の老人までが、ほぼ均等に思い入れを抱ける究極にして唯一の「世代レス」アイドル・志村けん。

 よく「一時代を築く」と言いますが、それって裏を返せば、世代の移行や、当人のスタンスや需要の方向性の変化など、「一時代」とは異なる「その後(アフター)」にたどり着くことで、初めて成り立つ表現です。しかし志村さんの場合、その立ち位置や方向性、さらにはそれらに対する世間の捉え方は、最初から最後まで見事に「普遍・不変」でした。46年間どんなに時代や世代が移り変わろうと、いまだに多くの日本の子供が初めて覚えるギャグは「アイーン」や「だっふんだ」であり、テレビの流行やメディアとの付き合い方が目まぐるしく変わっても、「芸者コント」や「ひとみばあさん」で笑う感性だけは万人にとって不動です。この「最後まで一時代を築かなかった」という事実こそ、志村さんが「最後まで最強だった証し」と言えるでしょう。

 75年生まれの私にとっての「テレビの原風景」は間違いなくドリフターズでした。毎週土曜は『8時だョ!全員集合』の日。これが生まれて最初に私が抱いた「曜日感覚」です。他にも「テレビ原風景の住人」と言えば佐良直美さんや由紀さおりさんですが、彼女たちもまた『全員集合』によく出演されていた。そして何よりも「志村けん」という人がいなかったら、私はここまでテレビに「娯楽」を求めることがなかったかもしれません。彼の存在は、平面的なテレビ画面の中の人であるにもかかわらず常に立体的で、リアルな温度や湿度がありました。オナラやウンコや変顔といった絶対的なアイテムに無条件で笑いながらも、そこはかとない歯がゆさや哀しみみたいなものを感じられたのは、志村さん自身が「泣き笑い」の道化師だったからではないでしょうか。

 例えば「老い」「貧乏」「ブス」「バカ」「変態」などのいわゆる「負の要素」を、できるだけ避けて生きていたいと思うのが「人間の業」です。志村さんはそんな人間界の負の要素を、時には救いようのない状態にまで突き詰め、単純明快な切り口で晒す。それを観て笑うことによって、私たちは救われる。志村さんの作る笑いは、ブラックでもシュールでも皮肉でもありません。負を逆手に取るのではなく、正面切って笑いものにするからこそ、シンプルで旬のない面白さが生まれる。

「女装する」可笑しさ虚しさ哀しさ、そして中毒性に溢れる背徳感を、私は「志村けん」に教えてもらいました。女装とは「ただ女になりたい」ではなく、あくまで「女ならではの業を自分の心体でなぞり曝け出す」こと。男にとっての女装は、実は女々しさよりも男らしさが試されるもの。

週刊朝日  2020年4月17日号