瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)

 半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。

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■横尾忠則「絵は小説より大変 無というより空になり」

 セトウチさん

 志村けんさんが亡くなった時、志村さんの死がこのコロナ対策を加速させ、緊急事態宣言が出ると思っていましたが、「そんな状況ではない」と菅官房長官は涼しい顔で否定します。すでに医師会は、すぐ緊急事態宣言を出すべきだと言っているにもかかわらず、時期尚早と安倍政権も閣僚もピクリとも動きませんでした。

 一方、これは一部の人間だと思いたいですが、国民の危機感は欧米のそれに比較すると、恥ずかしいほど低いですね。僕の知人の作家の周辺の若者は「未知の事態に興奮」していると言っています。まるで戦争映画か何かのアクション映画か、フィクションのように興奮の対象としてとらえているようです。観念的で作家的発想ですね。僕は画家ですから、こんな風に形而上(けいじじょう)的発想はできません。

 画家はあくまでも肉体的です。コロナは精神的なものではないです。肉体そのものです。だから、小説や映画のように興奮するフィクションのようにはとらえることはできません。ここが小説家と画家の違いですね。小説家が作品を肉体的にとらえたいなら、絵を描けば、肉体の意味がよくわかります。そして、ウワー大変だ、こんなんだったら小説の方がよっぽど楽だと、きっと思うでしょう。セトウチさんは絵を描いたり、彫像に挑戦されたりしたのでよくおわかりだと思います。

 僕も小説を書いたことがありますが、上手(うま)い下手は別にして、長いキャリアがあるにもかかわらず、小説より絵の方が百倍も大変だと実感しました。それは肉体的な作業だからです。小説も肉体的ですが、絵の場合は脳をある意味で否定します。ここは小説と違うでしょう。そして指先に脳を移植させます。頭の中を空っぽにして指先に脳を移動させるのです。つまり肉体そのものを脳にしてしまいます。それを僕は肉体の脳化と呼んでいます。小説家は、脳の中を空っぽにしてしまうと、言葉が出てきません。画家は無になるというより空になるのです。

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