1966年6月、日本に一大旋風を巻き起こしたビートルズの来日。音楽評論家の湯川れい子さんは、来日公演を主催した読売新聞社の特集雑誌の編集キャップだったにも関わらず、取材は困難を極めた。そんな時、湯川さんは1本の電話に救われ、貴重な取材の機会に恵まれる。この様子を音楽ライターの和田静香さんはこう書いている。


*  *  *
 湯川はコンサートを見てホテルに戻った。そこへ協同企画の社長で、ビートルズを日本に呼んだ、まさにその人である永島達司から電話がかかってきた。
「ビートルズが武道館の警備員の腕章を欲しがっているんだ。れい子さん、届けてくれる?」
 紙袋に入った腕章を4枚受け取った。
 10階へ上がると警備員がいた。「こちらへどうぞ」とうやうやしくビートルズのいる1005室に案内してくれた。そして―――。
 ソファに腰かけて待つこと30分。最初にポールが出てきた。
「君は誰?」
「私は誰かしら? 空を飛んできたの! しばらくおしゃべりしていってもいい?」
「どうぞどうぞ。まぁ、座ってよ」
 ジョンとリンゴ、ジョージも出てきた。ポールがジョージに「彼女にお茶を持って来てやれよ」と言うと、ジョージはニコニコしてお茶を運んでくれた。
「ファンはあなたたちにすまないといって、泣いているのよ。日本を楽しんでもらえなかったろうって」
「そんなことないよ。こもりっきりは慣れているからね。殺されずにすんだら、それでいいよ」
 ジョージらしいウイットに富んだ答えだ。
「わかりきった質問で、せっかくの時間をブチ壊したくないわ」
 と言うと、
「グッド・ガール! 勲章をもらった気持ちは? イギリスの王室をどう思う? 好きな作曲家は? なんて聞いたら窓から放り出すよ」
 それまでソッポを向いていたジョンがそう言って笑った。
※週刊朝日 2012年5月4・11日号


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