

桂由美さんが事業を始めた当時、花嫁衣装といえば黒振り袖。ドレスで式を挙げていた女性は、わずか3%だった。ビジネスにならないからと、誰も手を出さなかった世界に挑んで55年が経った。日本のブライダルシーンを変えたデザイナーの執念が、今明かされる!
「1970年代前半には、年間で110万組くらい結婚していたんですよ。それが去年は58万組しかなかった。本当に悲しいですよ」
近年の婚姻数の減少を最も嘆いているのは、桂さんかもしれない。
ブライダルの事業を始めたのは、1965年。55年に当たる今年も“シーズン”を迎えたが、コロナ禍のために延期が相次ぐ。試練の年だが、これまで乗り越えてきた困難と比べれば楽なものかもしれない。
今でこそウェディングドレスを着る新婦の姿は当たり前だが、桂さんが事業を始めた頃は違っていた。
「ドレスを着る女性は3%しかいなかったんですよ。97%が着物で式を挙げていました。日本のファッションはかなりのレベルまで行っていたんですが、ことブライダルとなると誰も手を出しませんでした。ビジネスになりませんから。でも女子大などで市場調査をしたら、40%はウェディングドレスを着たいと答えたんですよね。その夢をかなえてあげたいと思ったんです」
桂さんの母は洋裁学校を経営していた。桂さんは共立女子大学に通いながら文化服装学院の夜間の授業を修め、卒業後はパリに留学。帰国してすぐに洋裁学校の副園長に就任した。
経済的な背景があったからこそ、新規事業に挑戦できたといえるだろう。
「赤坂に店を開いた1年目。注文を取れたのは30着だけでした。4人の社員に給料を払うと、私の取り分はゼロ。というよりまったくの赤字でした。そのため月、水、金の3日は母の学校で教えていました。午前組、午後組、夜間組と3クラスを受け持って。学校の給料をすべて店につぎ込んでいました。夜学が終わると8時半で、それから赤坂に戻って店の2階で寝ました。お金がないから、店に住んでいたんです」