なかには、ひとりで何百ものアカウントを所有して投稿するケースさえある。

「書き込みをするのは、炎上は社会を良くしており、非難する自分は正義であると、思い込んでいる人がほとんどです。『炎上は社会を良くすること』と考える本人にとっては、誹謗中傷ではなく、『正しい指摘をしている』わけです」(山口氏)

 激化の背景には、視聴者の批判感をあおり、企画を盛り上げる番組作りをするテレビなどメディアの影響も大きいと、山口氏は指摘する。

 テレビやニュースで事件や騒ぎを知った人が、ネットに書き込みをして炎上が起こると、それをメディアがニュースとして報道する。SNSを見ていなかった人も、新たに炎上騒ぎに加わる。ネット上のバッシングは、攻撃対象者が社会的制裁を受けるのを見届けるまで続く。まさに、負のスパイラルだ。

 一方で、伊藤詩織さんの事例のように、SNSの投稿に対して訴訟を起こす動きも増えてきた。

 これまで訴訟の加害者となるのは、主に著名人やメディアであった。しかし、一般の人も情報発信力を持つようになったいま、不注意な投稿で名誉毀損(きそん)などの訴訟を起こされ、ある日突然、加害者になることもあり得るのだ。

 不特定多数の人に対して、ある人物の社会的な名声や信用をおとしめる行為が名誉毀損だ。

 誤った事実や根拠のないデマを書き込むといったものは論外だが、表現の自由と誹謗中傷の線引きはどこにあるのだろうか。SNSに投稿するときに、どこに気をつけるべきなのか。

 ネットの誹謗中傷問題に詳しい清水陽平弁護士は、こう話す。

「好き嫌い、といった内容だけであれば、感想や意見の範疇(はんちゅう)だと判断されます。しかし、対象が人の場合は往々にしてヒートアップしやすい。『死んで』など倫理性のない言葉や差別、人格を攻撃する内容のものを執拗(しつよう)に投稿したり転載したりするような行為は、アウトです」

 普段の議論でも、発生した事象に対して「こうしたやり方は問題があると思う」など、意見を交わすことはある。ときには脱線し、議論の対象が「あの人は〇〇だから」と人にすり替わるケースもある。

 前出の山口氏が言う。

「人と人が顔を合わせて会話をするときは、相手の顔色などさまざまな情報を処理しながら、話を進めます。議論が暴走すれば、『それはちょっと』と制止する人も現れます。しかし、ネットでは歯止めが利きづらく、注意が必要なのです」

 つまり、何か社会常識に照らして眉をひそめる行いがあったとしても、行為を犯した『人』について論評しないよう、注意を払っていれば、ディスカッションとして成立する。まさに、「罪を憎んで人を憎まず」という基本姿勢を崩さないことがポイントだ。

 では、「これはフィクション」「架空の話」と断りを入れて書き込みや投稿を行った場合は、名誉毀損として追及されるのを免れるのだろうか。清水弁護士が言う。

「基本的に関係ありません。SNSの投稿を見た人が、誰のことについて述べているのかを特定できて、評判を貶(おとし)めたり人格を否定したりするような内容ならば嫌がらせをしていると判断できます」

 SNSのアカウントを新しくつくって書き込みをしたとする。フォロワーもおらず、だれが見ているのかが分からなくとも、十分に名誉毀損にあたる、と言う。

 自分が直に書き込みをせず、第三者の投稿を転載した場合でも、名誉毀損にあたるとして損害賠償を求められた裁判例もある。

 さらに、こうした状況を受けて、総務省はSNSで名誉毀損など権利侵害にあたる投稿があった場合に、SNS事業者が投稿主の電話番号を被害者に開示できる方針を示した。早ければ年内にも関係省令を改正し、実施される見込みだ。

「被害者側は電話番号がわかれば、弁護士を通じて住所と名前など、発信者の個人情報を特定しやすくなります」(清水弁護士)

 いまやネットが不可欠な生活のなかで、一億総発信者社会となっている。過渡期でもあるなかで、一刻も早いモラルの整備が求められている。(本誌・永井貴子)

※週刊朝日オンライン限定記事

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