

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父・滋さんが亡くなった。温厚で優しい人柄でいつも笑顔が印象的な滋さんだが、人前では決して見せない激しい怒りがあった。AERA 2020年6月22日号から。
* * *
横田滋さんが87年の生涯を閉じた。43年前、中学1年生のとき北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父として後半生の全てを娘の救出に捧げながら、慈愛に満ちた笑顔を絶やすことがなく、他の拉致被害者家族にとっても精神的支柱だった。葬儀の翌日の9日、遺族が記者会見で、その思い出と、受け継いだ救出への強い思いを語った。
衆議院第一議員会館で行われた会見には妻早紀江さん(84)と双子の息子の拓也さん(51)、哲也さん(51)が臨んだ。
滋さんの入院生活は2年2カ月に及び、新型コロナウイルスの感染が拡大してからは見舞いに行くのも難しくなっていた。早紀江さんが振り返る。
「コロナが蔓延してからは病院の1階までしか行けなくなりました。いただいたバラの花をクレヨンでスケッチして『つぼみがつきましたよ、もうすぐ咲きますよ。今は行けないけど、みんないつもお父さんと一緒なんだよ』と書いた手紙を同封して、看護師さんに読んでいただくように受付の人に託しました」
そして別れの時が訪れた。
「看護師さんが、何でもいいから声をかけてあげてください、聞こえているのでとおっしゃったので、耳の近くまで寄って『お父さん、天国に行けるんだからね』と大きな声で言いました。お世話になった宣教師の先生方や懐かしい方がみんな待っていてくださるんだよって。『気持ちよく眠ってください。私が行くのを待っててねー』と言うと、片目にうっすらと涙を浮かべて、眠るように亡くなりました」
木訥で不器用で、何事にも全力で取り組む頑張り屋。病床でも愚痴や弱音は一切吐かなかった。家族で山登りや旅行に出かけ、いつも子どものことばかり考えていた良き父。それまで何もしてあげられなかったという思いから、せめてもの恩返しにと、早紀江さんは病室で繰り返し、滋さんの手や足首、頭や肩を心を込めてマッサージした。