夏目漱石、森鴎外、菊池寛、石川啄木、太宰治など、明治・大正・昭和に活躍した文豪たちの「皮肉」「嘆き」「怒り」の言葉を集めた『文豪の悪態』(朝日新聞出版)。時に本能むき出しに、時にひねりを利かせた、文豪たちの悪口の一端を、本書の著者で大東文化大学教授の山口謠司氏が紹介する。
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今回は、素晴らしい「悪態」をついた文豪、稲垣足穂(1900~1977)を紹介しよう。
稲垣足穂、明治33(1900)年、大阪・船場に生まれ、少年期を神戸市と明石市に過ごす。関西学院中学部を卒業。19歳の時に書いた『小さなソフィスト』をもとにした短編小説を佐藤春夫に送り、絶賛される。これがイナガキタルホの名前で『一千一秒物語』となって彼の名前を一躍有名にした。「月から出た人」「星をひろった話」「流星と格闘した話」「月光密造者」「銀河からの手紙」など、タイトルだけ見ても、読んでみたくなる。
小説としては他に『タルホ流星群』『ミシンと蝙蝠傘』『人間人形時代』などがある。
あまり知られてはいないが、横光利一、江戸川乱歩、石川淳、伊藤整、三島由紀夫なども高く評価する特異な小説家である。
足穂は、自身の作品は、『一千一秒物語』(1923年、金星堂)の注釈であると言うが、昭和44(1969)年4月、氏の『少年愛の美学』が新潮社主催第一回日本文学大賞(「日本芸術大賞」「新潮新人賞」とともに、新潮社の三大新潮賞の一つとして、1968年から87年まで設けられていた)を受賞した時の「週刊文春」(昭和44年4月14日号)へのコメントがすごい。
「選考委員に感謝の念なんておきませんよ。アイツらよくここまできたなァという感じですナ。まあ、川端をえらんだノーベル賞委員よりはイナガキタルホをえらんだ日本の委員(中村光夫、伊藤整、丹羽文雄、三島由紀夫の四氏)の方がエライ! ノーベル賞もメーテルリンクのころはよかったけど、チャーチル以後は信用せんね」というのである。