その後木野は93年に帰国し、現在は自身の地元・藤枝市でダンスパフォーマー兼振付師として活動。田原俊彦の振り付けなども担当している。そして2007年には、ついに憧れのマイケルとの対面を果たした。
「マイケルが来日して、パーティーを行うと。そこにゲストダンサーとして呼ばれた。パフォーマンス後に、マイケルに楽屋に呼ばれて、『You are very creative!』(すごいね!)と言われたのが本当にうれしかった。彼が亡くなったとき、『バックダンサーになる夢が叶わなかった』と思ったけど、よく考えると、僕の本当の目的は、『マイケルに認められたい』ということなんだよね。そういう意味では、この道で夢が叶ったのかな」
自身の経験からも、木野は「事務所を退所するからこそできることもある」と考えている。だからこそ手越の前途多難な船出に危機感を持ちつつ、こうエールを送る。
「やりたいことがたくさんあるのは悪いことではないけど、じゃあそのための具体的なアクションやビジョンがどこまであるのか。それが現状では見えず、上っ面の言葉にしか聞こえない。何年も先のことは考えなくてもいい。改めて自分と会話して、今自分がなにをしたいのかを、等身大の言葉で明確にしてほしい。そうすれば、おのずと自分が進むべき道がわかると思うんだ」
(AERA dot.編集部/井上啓太)