そもそも、木野は手越の主張する“円満退所”にも懐疑的だ。
「手越君の立場を事務所が理解しているのであれば、今回の会見は事務所主催で行われたはず。そして、円満ならなぜ弁護士を立てないと話し合いができないのか。本来の契約満了日は来年の3月末だったということで、それだと『慌てて外出して仕事を取りにいった』という彼の主張も矛盾する。また彼はジュリー社長と滝沢君にも会っていないと。それを円満だと言えるのかなあ。疑問ばかりが出てくるよ」
そう話す木野も、ジャニーズ事務所を退所した一人だ。木野は1986年にジャニーズ事務所に所属。88年に、萩本欽一が司会のテレビ番組「欽きらリン530!!」(日本テレビ系)の企画で結成された「CHA-CHA」(92年に活動停止)の元メンバーで、勝俣州和らとともに活動した。
木野は当時、田原俊彦のバックダンサーも務めていた。兼務の活動で年間120本ほどのステージに立ち、その他にもテレビやラジオに出演したり、握手会などのイベントもあった。手越と同じく、木野もまた「ジャニーズで成功を収めた一人」なのだ。
だが、「CHA-CHA」でのバラエティー色の強い仕事をするなかで、「パフォーマーとして力をつけたい」という思いが木野のなかで強くなっていった。90年にジャニーズ事務所を退所。「いつか、マイケル・ジャクソンのバックダンサーになる」という夢を抱えて、単身アメリカでダンスを極める道へ進んだ。
故・ジャニー喜多川氏からは反対されたが、自分の思いを伝えると納得してくれた。「CHA-CHA」のメンバーや萩本、田原ら現場の人たちにも退所前に報告し、“円満退所”を果たしたのだった。
「退所するにしても、事務所ときちんと話をしていれば急に契約を切られるなんてことはありえない。僕も退所の意向を伝えてから3,4カ月ほどジャニーズとして活動したけど、話し合いができていたので『いつ契約を切られるかわからない』ということはなかった。退所後もジャニーさんの誕生日に電話で話すほど、良い関係を築けていた。『アメリカ、もう飽きたよ』と話したら、ジャニーさんは笑ってくれて。言葉には出さないけど、『いつでも帰ってきていいんだよ』と言ってくれているような温かい雰囲気だった」