コロナ禍のせいで、今年の夏のお祭りは大打撃である。京都・祇園祭の花である山鉾巡行や福岡・博多山笠の取りやめをはじめとして、各神社仏閣の催事が軒並み中止か延期となってしまった。御朱印やお守りの授与の方法なども例年と違った形で行っているところも多い。催事の多くが、疫病や天候不順を除けるために始まったことを考えると、なんだか本末転倒の感じもするが、人が集中することが感染拡大につながるという知識を持ってしまった現代では致し方ないのだろうか。
●6月30日は「夏の大祓」
6月といえば、大晦日と共に「大祓」という半年に一度の禊の行事が行われる月である。寺社によっては「茅の輪」を設置したり、ひとがたや護摩木のようなもので祓いの儀式が執り行われる。この儀式さえ、一般人を交えず行うところが多々あるという。茅の輪もなし、ひとがたなどは郵送か事前申し込みのみとなるところもあるという。ここまでくると、もしかして奉職している人たち自らが、神仏の神徳を信じていないということなのだろうかと疑ってしまうほどの用心深さである。
●本来は地元のための祭事
科学も化学も知識もない時代、人は病気をしたり体調を崩したり不幸に見舞われたりすると、神仏やあやしに救いを求めた。薬師如来を祭ってお堂を建立したり、龍や荒ぶる神を鎮めるための祠を作り、鬼や邪を祓う舞や踊りを皆で行った。ある意味、病気や不幸を皆で共有し、知恵を絞って全員で対処しようとする姿勢だったとも言えるのではないだろうか。その中心となっていたのが神社仏閣という古くから地域に根付いていたシステムだったのだろうと思う。昔は、遠くの神社仏閣に赴く風習はなかった。熊野詣でや善光寺参り、金比羅参拝などあるにはあったが、一般庶民には高嶺の花で行けても一生に一度か二度そんなものである。つまり祭事の多くは地元のためのものであったのだ。
●善光寺のご開帳も延期に
今年も、全国から参拝者が訪れるような大きな神社仏閣以外は、祭事についての格段の変更はないようだ。裏返せば、寺社の規模が大きくなればなるほど今回のコロナ禍の被害を大きく受けている。まるで世界の国々が受けている災難の縮図のようでもある。世界中から参拝者が訪れる善光寺は、すでに来年開催予定だった6年に1度のご開帳の延期を決めた。善光寺の開帳の翌年に開催される諏訪大社の御柱と同年に行われることとなったのである。