マンガ家・詩人・歌手と多くの分野で活躍するやなせたかし氏(93)。1946年に戦争から復員した後はサラリーマン生活を送り、53年にフリーランスになった。独立したきっかけから、さまざまな分野で活躍する現在のスタイルが確立した経緯を語った。

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 その頃、新聞や雑誌では、しょっちゅう漫画を募集していて、俺はよく入選した。そうこうするうちに外部の仕事が広がって、給料の3倍ぐらいの収入になったんだよ。それで、フリーになることに決めました。カミさんは「食べられなくなったら、私が食べさせてあげる」って、大賛成。

 最初のうちは、漫画も記事も書くルポやインタビューの仕事が多かった。その関係で、宮城まり子さんにリサイタルの構成を頼まれたり、どういうツテか、突然、永六輔さんが家を訪ねてきて、ミュージカルの舞台装置をやってくれって言われたり。どれもやったことがなくて「なんで俺に?」って思ったけど、面白そうで、結局、全部引き受けた。

 そのうち、「困ったときのやなせさん」って言われるようになったんだよ。たとえば、雑誌のメーンページの漫画家が急に描けなくなると、「6ページあきました。明日までに原稿が入らないと大変なことになります」って、そんなの、絶対無理。だけど、つい「やってやろう」と思っちゃうんだ。なんでかっていうと、つまり、仕事っていうのは、難しいのが面白い。「あんたにはできないだろう」なんて言われたら、もう断れないね。

※週刊朝日 2012年3月16日号