『アンパンマン』の作者として知られる、やなせたかし氏(93)。東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)を卒業後、軍隊に召集され、マンガ家としてデビューするまでに紆余曲折あったが、1947年には三越に就職したという。
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戦後、故郷に復員したのは46年3月。すでに27歳だった。
今からでは絵を描く仕事はダメだろうと思ってね。父が新聞記者だったから、俺もそういうのをやろうかと、高知新聞社に入った。ところが、まわされたのが「月刊コウチ」という雑誌。それが、部員4人で全部やるわけ。編集も広告とりもやって、俺は連載漫画も表紙も描く。そういうのやっているうちに、また絵を描きたくなっちゃった。
そしてですね、俺の前の机に小松暢さんって女性がいて、もう、兵隊から帰ってきたばかりだから、前にいる人をすぐ好きになっちゃう。彼女が代議士の秘書をやるって東京に行ったんで、1年後に俺も追いかけて上京した。つまり、彼女がカミさんになった。
それで、三越の宣伝部に就職するんです。なんでかっていうと、漫画家はね、みんな最初は食うや食わずなんです。皆さんはどうか知らないけど、俺は貧乏とか、そういうのが嫌いなんだ。だから、まずは食べられるようにって、試験を受けたら受かっちゃった。
※週刊朝日 2012年3月16日号