大学卒業には7年間かかりましたし、就活はしていませんし、今でも派遣社員です。
でも、目の前に好きなことがあって、それに取り組んで多少評価されるとうれしいと思える。高い目標は不要という意味での諦めです。今の自分なら、仕事を淡々とこなして、たまに文章を書いてネットに公開し、褒められるのがとちょっとうれしい。そんな生活です。
それ以上を求めてはいないですね。だから、夢もあまりもっていません。あえて言うなら、温泉にすぐに入れて、スーパーでおいしい魚が帰るとこに住めるといいなとは思います。書いた本も売れたらいいなとは思いますが、自分の考えを変えてまで売れ筋を狙おうなんてことは思っていません。
何かに執着すると煩雑になるので、「とらわれない」ことで簡易的に生きる。そうすることで、自分は今、楽しく生きていくことができています。
■ムダなことでも「趣味」ならオーケー
「諦める」ということは、他人や道具にも過剰な期待を持たなくなるということでもあります。
たとえば、家電や家具なんかもそうですね。自分の好みや求める機能の全てを満たす商品はなかなかありません。みんながどこかで妥協をしています。
実は若い頃に、同じ機能を持った道具は家にひとつにしていたことがあります。ガスコンロと電子レンジは同じ「温める」ものであるから、どちらかだけを置くというふうにです。便利さを諦めることによって、生活がシンプルになりましたが、やはり不便は不便でした。これも一種の無駄なこだわりだなと思い、今は丁度良いところで妥協をしています。
人に対してもできることしか求めませんから、仕事も円滑になります。各々ができることとできないことをはっきりと見極め、機械的に役割分担を決めてドライに物事を進めていくと、作業はスムーズに進みますし、余計な気遣いからくる人間関係に煩わしさを覚えることもなくなります。
僕自身は「諦める」ことで、幸せになれると思っていますが、一方で、情熱をもって生きることを否定してはいません。なぜなら、それは「趣味」の一環だからです。