「今回は平時の投票結果ではなく、有事のものでしたよね。有権者心理としては小池さんにいい悪いはあったとしても、現職を変えられない。有事下では戦争が最も極端な例ですけど、現職に極めて有利に働くというのはあったと思います。ただ380万人でしょう、『小池ゆり子』と投票用紙に書いた人は。東京都民は1400万人で、残り1000万人は書かなかった、子どもたちは書けなかった。1000万人以上は積極的に小池とは書いてない、それを背負って都政のかじ取りをして欲しいですね」
選挙とはなかなかに一筋縄にはいかないものだ。半分以上は投票しない、街に立って都民に政策を訴えなかった人が当選してしまう。映画ではそういう選挙の不条理に挑む、小川さんの姿が繰り返し映し出される。衝撃的なのは「本人」と書いた幟を手に、田んぼと畑の真ん中に立って演説をする場面。都会での選挙とはまるで違う、地方での選挙の風景がある。
「畑の向こうに家がありますから、もしかしたら聞いてくれるかもしれない、声が届いているかもしれない、そういう思いでやってるんです。選挙って日々やってることが実っているのか、分からないんですよ。数年に1回の結果しかないので、毎日積み上げてることが砂粒みたいな感じがして、途方に暮れそうになるんですね。でも、そこで途方に暮れたままだとそうじゃない人の勝利なんで、途方に暮れそうなことを認め、でも途方に暮れないと決意して、砂を一粒一粒積み上げることをあきらめない、それしかないんです」
しかし、小川さんが戦う香川一区には、地元の新聞社と放送局のオーナー一族で、絶対的な地盤を持つ自民党の平井卓也さんが対抗馬にいる。なかなか選挙区で勝つことができず、なんとか比例区で復活当選を果たしてきた。砂粒を積み重ねる労力は小川さん本人だけに課せられるものではなく、小川さんの両親、妻、娘ふたりも同様で、それぞれが悩みながらも選挙活動を手伝う姿が映画には映し出されていく。
「ご家族は小川さんの選挙や在り方を語るのに欠かせない人たちで、大きく取り上げました。同時に映画を見てもらうためのテクニカルな要素としても必要不可欠でしたね」(大島)
家族は選挙運動用ビラを折り、封筒に詰める。有権者に電話をかけて投票を頼む。「妻です。」「娘です。」というタスキを掛けて街頭に立ち、雨の中に並んで「お願いします」と必死に連呼する。その姿には胸を打たれるが、切なくもなる。
「家族のことを考えると、本当にもうしわけないの一言なんですが、まだ娘たちが中学生の頃、僕がいないときに家族3人で近所のラーメン屋さんに行ったそうなんです。そこは娘の同級生の親御さんが営んでいて、その同級生がお店のチラシを配っているのを見て、娘たちが『どの家にもそれぞれ、その家なりの苦労があるんだね』と言ったと聞いて、異常にかけてきた負担の受け入れ方の一つとしてありがたいなと思いました。もちろん、それで言い訳できるほど簡単な負担じゃないですが、ある頃から父親が真剣に社会と向き合おうとしてることを分かってくれるようになりました。『いいことは何もないけど、辞めて欲しいと思ったことはない』と言い始めたんです」