「さすがにこのときは出馬を固辞しましたが、橋下さんに『大阪都構想がダメになってもいいのか』と説得され、市長選に出ることを決めた。本人は『妻に相談してから発表すると橋下さんと約束していたのに、次の日には出馬報道が出ていた』と笑っていましたよ」(前出の維新の国会議員)

 19年には、松井一郎大阪府知事(当時)と一緒に市長職を辞職し、吉村氏が知事選に、松井氏が市長選に出る「クロス選」に持ち込んで勝利。吉村氏は43歳の若さで知事に就任した。「このころから吉村さんの人気が高まってきた」(前出の地方議員)という。

 ただ、吉村氏の政治家としてのキャリアは、橋下氏や松井氏から道筋をつけられた部分も大きい。維新の元議員は、こう話す。

「維新は政策集団だけど、体育会的な集まり。吉村さんは、市長時代はあまり目立たなかったので『松井知事兼市長』と言われていたぐらいでした。松井さんにとっては、自分の言うことは聞くし、見た目もよく、若い吉村さんは使い勝手がよかったんでしょう。吉村さんもそれにうまくのっかっていた。吉村さんに政治力はそれほどなかった」

 それが、コロナ対策で政府や大臣に“物言う知事”として存在感を示し、頭角を現した。緊急事態宣言に伴う休業要請などの解除基準については、「数値に基づく出口戦略を国が示さないから大阪府で示す」と宣言し、コロナ対策を担当する西村康稔経済再生担当相と論戦になった。最後は吉村氏が潔く謝罪したが、世間には「闘うが、国とも冷静に交渉できる知事」と存在感を示した。(本誌・西岡千史、上田耕司/今西憲之)

週刊朝日  2020年8月7日号より抜粋

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今西憲之

今西憲之

大阪府生まれのジャーナリスト。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がける。「週刊朝日」記者歴は30年以上。政治、社会などを中心にジャンルを問わず広くニュースを発信する。

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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