麻丘めぐみ (撮影/写真部・小黒冴夏 ヘアメイク/TOM)
麻丘めぐみ (撮影/写真部・小黒冴夏 ヘアメイク/TOM)
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レコーディング前日は緊張して眠れなかった
レコーディング前日は緊張して眠れなかった

 70年代、トップアイドルとして君臨した麻丘めぐみさん。当時は記者が勝手に書いた記事が出ていたことも。苦笑するしかないエピソードや電撃結婚などについて明かしてくれた。

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-前編「志村けんさんのせいで? 伝説のアイドル・麻丘めぐみが思い出を語る」より続く-

 当時は「アイドルはトイレに行かない」という都市伝説もあった。

 実際、麻丘さんは「背広姿の大人を怖く感じた」こともあり、テレビ局やコンサート会場で男性スタッフが立ち並ぶ廊下を通ってトイレに行くことを、はばかっていた。ある日倒れてしまい病院で診察を受けたところ、腎臓を痛めていた。

「お医者さんに、『トイレには行かなきゃ駄目』と言われました」

 地方公演でホテルに入ると、マネジャーに部屋の鍵を没収された。

「そういうふうに監視されるのが怖かったんです。部屋から電話をかけると、翌日マネジャーがその履歴を見て『これは誰だ?』と聞くんです。『友達』と答えると、『じゃあ今、ここに電話してみなさい』と」

 そうした生活の反動か、仕事で知り合った男性から2回目のデートでプロポーズを受け快諾。電撃結婚し引退した。77年のことだ。

 翌年に長女に恵まれたが、多忙な夫とのすれ違い生活が続き、83年に離婚。愛娘(まなむすめ)を育てるため、女優として芸能界に復帰した。

 長女が20歳になったとき、一通の手紙を受け取った。

「ママは、私のためだけに生きないで、自分のために人生を生きてほしい」

 母を思う娘の切なる願いだったが、麻丘さんにはあまりピンとこなかった。

「家族のために働くなんて、世のお父さんと同じですよ。仕事をして家族を支える。それが自分の役割だと思っていました」

 その後、長女はフランスに留学し、向こうで働きだした。姉は結婚。父は亡くなり、母は郷里の大分に戻り施設に入った。

「10年くらい前から、人生で初めての一人暮らしを始めたんです。最初は楽しくてね。何時に帰ってご飯を作らないと……なんてこともないし。でもだんだん寂しくなっていって」

 母が入った施設にお願いし、レクリエーションの時間に「左きき」を歌った。認知症になりかけていた母は、車椅子から身を乗り出し歌を口ずさんだ。

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