〈数年前、もう生きる気力がなくて、すぐに死ぬと思ったから、「賀状は今年かぎりにさせて頂きます。長年のご厚情を感謝申し上げます。世を捨てた北杜夫」と書いて、皆様に年賀状を出したんです。ところが、世を捨てるとストレスがないせいか、まだ生きている。困ったもんです〉
10月24日に腸閉塞で亡くなった作家の北杜夫さん(享年84)は、本誌06年7月21日号の連載「親子のカタチ」で、娘でエッセイストの斎藤由香さんと対談し、自身の鬱(うつ)状態をそう振り返っていた。
小説『楡家(にれけ)の人びと』やエッセー『どくとるマンボウ』シリーズなどで知られる人気作家。39歳のときに躁鬱(そううつ)病を発症した。以来、闘病体験をエッセー同様、ユーモラスに語ってきた。もちろん、先の親子対談でも、自身の“躁の暴走”についてあっけらかんと話していた。
〈躁の時は元気になるから、「オレ様!」とか「テメエ」とか「叩き殺すぞ!」とか、勝手に口が動き出すんです〉(北さん)
発病後は罵声や怒号が飛び交うのが当たり前。「作家は好きなように生きるんだ」と言って、妻の喜美子さんと由香さんを自宅から追い出したこともあった。
〈私が中学の時、「寺内貫太郎一家」というドラマが人気だったんだけど、自分の家の方がグチャグチャだったから、とても見る余裕はなかった〉(由香さん)
00年の正月には「大躁病」が勃発。株に夢中だった北さんは大発会の日にこう言い出したそうだ。
「オレ様は日本一の大金持ちになる!」
“危険”を察知した家族は、公衆電話から証券会社に電話をかけられないように雨戸を閉め、北さんを自宅の部屋に“監禁”。北さんが大声で隣家に助けを求める大騒ぎになった。ところが、留守中にやってきた宅配便のスタッフに携帯電話を借り、株の取引を指示した。これには喜美子さんが激怒したという。
〈喜美子に首を絞められて、どうやって株を買ったのかと白状させられた〉(北さん)
ある年の大晦日、北さんはどういうわけか自宅玄関先に〈当家の主人、ただいま発狂中。万人注意!〉と書いて貼り出そうとした。由香さんも由香さんで「面白いから今、貼ろう」と言ってきかなかったそうだ。
“大暴走”する父と、一緒に楽しむ娘。事実、由香さんも〈文化祭がきたみたいで楽しかった〉と言い、こう振り返っている。
〈父は身をもって躁鬱病を世に知らしめたんだと思う。誰にでも気分の浮き沈みはあって、それでも人間には生きていく力があるのだと〉 (本誌取材班)