「私が弁護した佐藤栄佐久元福島県知事の裁判でも、二審では『無形のわいろ』として賄賂額を実質ゼロと認定しながら、結局、有罪判決を出した。裁判所が検察の顔を立てるというか、バランスを取って『有罪』の形だけ残したと思いました。この事件に関しては、検察が作り上げたまったくの冤罪だと考えている」
裁判所になにが起きているのか。再び語るのは、先の井上弁護士である。
「検察に気を使う裁判官も多いんですよ。まず、お互いに公務員同士、さらに立ち会い検察官なんてずっと顔を合わせていますから、自然に仲良くなることもある。裁判官室に出入りする検事も多いし、逆に、裁判官が検察官に電話をして『この証拠が足りないから補充捜査したほうがいいよ』なんてアドバイスすることもある。弁護士側にそんなことをする裁判官はいません。司法の独立なんて建前だけなんです」
新聞各紙は判決について、〈裁判員裁判の導入により、裁判所は供述調書よりも客観証拠や法廷での供述を重視する傾向を強めている〉(9月27日付読売新聞)などと評価している。
しかし、言うまでもなく、裁判員裁判であろうとなかろうと、刑事裁判で求められるのは、法廷に出てきた証拠を客観的に精査して有罪かどうかを冷静に判断することである。そこには当然、推定無罪が働く。今回のような結論は到底、導き出せるわけがない。
こんな判断が当たり前になったら、国民は安心して暮らしていられない。いま本当に必要なのは、裁判所の改革なのではないか。 (本誌・大貫聡子、鈴木毅)