時は移り71年。石原プロで夢の映画作りを続けてきた裕次郎は巨額の負債を抱えていた。そこへフリーとなった渡が、出演したばかりの映画のギャラ180万円を持って現れた。「皆さんでお茶でも飲んでください」と封筒を差し出す渡に、裕次郎は大感激をした。渡はその時のことを「学生時代から好きだった裕次郎さんと同じ釜のめしを食って、映画を作っていければ楽しいかなと、思ったんです。とにかく裕次郎さんと、一緒にいたいと思いました」と、若者のような笑顔で話してくれた。石原プロ入りは、常に裕次郎の二番手になることを意味する。反対する人もいたが、心底裕次郎を慕っていた渡は、あえてそれを望んだ。
それから約半世紀、渡さんは石原プロの看板を背負い、石原裕次郎のイメージを守り続けてきた。今年、裕次郎さんの命日「あじさい忌」に石原プロの解散が発表されたばかりだけに、その訃報には、万感の想いがある。(娯楽映画研究家・佐藤利明)
※週刊朝日 2020年8月28日号