

情報番組などあらゆる局面でニュースに関してコメントを求められることがあるお笑い芸人のカンニング竹山さん。そんな中、最近、ニュースの結論を「いい」か「ダメ」かのどちらかに決めつけ過ぎる風潮をとても危惧しているという。
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先日、「アッコにおまかせ!」でコメントしたことで思うところがあって、最近すべてのニュースに関して、“遊び”が全くない。“遊び”というのは、車のハンドルで言う遊びで、それがない最近の世の中がものすごく気持ち悪いと思ってきている。
番組ではあるアイドルの処分が取り上げられて、「いい」か「ダメ」かだけでしか結論を言わない。「いい」か「ダメ」になると、今回の件はもちろんダメなんだけど、起きた出来事をひとつひとつ検証してみるとダメとひと言で言えないところもある。だから、「いい」か「ダメ」で決められないところって、大人の余裕じゃないけど、遊びの部分だと思うんですけど、遊びの部分を全く思考しない世の中になりすぎていて、そういうのって、どうかなぁ……と、ここ最近考えている。
この理論って何かと言うと、「逮捕された人は犯人だ」につながる。いや、逮捕されたら犯人ではなく裁判するまでわからないんですよ? 「即、犯人」の発想だから、芸能ニュースの芸能人に対する処分の話題になると、「芸能人には甘いんだ」「一般人なら即アウトだ」とか、すぐに書き込まれるけど、いやいや、一般人も即アウトじゃなくて裁判でわかってくるわけじゃないですか。テレビでコメントする人も「白」か「黒」で、そのうち、言いにくい方の色を言った人の方が「よくぞ言った!」と評価される。「忖度なくよく言った!」ってね。
いやいや、忖度ってナンだ? 「アッコにおまかせ!」での僕の発言に対してもネット上では、「大手事務所の芸能人に忖度しやがった!」「いつも竹山は芸能人に忖度だ!」って書き込まれていたんだけど、そもそも、その忖度って何? 僕、アイドルの事務所に気に入られようとしてないし、ましてやその事務所に入れないし(笑)、もちろん、別の圧力で僕が芸能界から消されることもないけど、コメントしたことによるプラスは何もないですよ。